医療介入とは 24  <「自然なお産」と分娩監視装置>

1970年代からの「自然なお産」の動きは、日本だけでなくイギリスやアメリカ、世界中のいろいろな国で高まっていたようです。


1980年代終わりの頃に「自然なお産」に影響され始めた私は、そういう各国の動きはある程度同じ段階で、同じ方向を向いていると思い込んでいました。
それぞれの国の医療事情が異なれば、その中で求めていることも当然違うということに、気づいたのはもっとあとのことでした。


たとえば3割以上の帝王切開率やほとんどの分娩が無痛分娩である国で求める「自然なお産」と、そういう国々に比べれば自然経過で待つ日本では、「自然なお産」が何を意味しているかは全く違ってきます。


なぜこういうことを書いているかというと、80年代の日本の「自然なお産」は誰が何を求めていたのだろうかということがよくわからなくなってきたからです。


たとえば、血管確保にしても分娩監視装置にしても、こうして医療施設の中でいつ頃から使われ始めたかを振り返ってみると、日本の70年代から80年代では大学病院や比較的ハイリスクの多い一部の総合病院以外はあまり一般的には使われていなかったことが見えてきます。


点滴や分娩監視装置にしばられることもなく、自由に動けていた病院も多かったのではないかと思います。赤ちゃんが生まれる直前の分娩台での体勢を除けば。


1980年代の「自然なお産」の中での、分娩監視装置(CTG)の位置づけはどのようなものだったのでしょうか?
手元にある本の中から、日本とイギリスの出産を比較しながら見直してみたいと思います。


<「アクティブ・バース」>


ジャネット・バラスカス氏による有名な本です。日本では現代書館から根岸悦子/佐藤由美子/きくちさかえ氏訳の翻訳版が1988年に出版されました。


その中で分娩監視装置に関しての記述部分を引用してみます。

胎児の心音チェックは、妊娠中はもちろん分娩時にも、定期的に行わなければなりません。胎児心音は耳に手をあてるだけで、はっきりと聞こえることができます。ラッパ型の胎児心音聴診器(トラウベ)だけでも十分聞こえますが、助産婦がこれを使うときは、まっすぐに座るか、少し後ろに寄りかかるように言われるかもしれません。がんばって、よつん這いの産婦のしたから、トラウベを当てて心音を聴こうという助産婦さんもいます。その場合には、ふつうの聴診器の方が楽です。一番便利なのは、超音波心音モニターです。これらの装置はわりあい安価なので、たいていの病院にひとつは備えてあります。これは、産婦がどんな起き上がった姿勢をとっていても使用可能で、母体にも胎児にも不快感をあたえません。超音波が胎児に与える影響については、現在研究中で、まだはっきりしていません。

1986年にイギリスで出版されていますから、1980年代半ば頃までのイギリスの一般的な分娩時の様子ではないかと思います。


やはりトラウベもまだ使用されていて、携帯用ドップラーが一般的になりつつあった時代のようです。
分娩監視装置も使われているようで、以下のような記述もあります。

現在一般に使用されている腹部ベルト式モニターには問題があります。収縮を計測するためのベルトと、胎児の心音を計測するためのベルトを、2本腹部に巻きつけるので、産婦はどうしてもセミリクライニングの姿勢をとらなければなりません。それが大変不快だと感じる人は少なくありません。収縮の痛みが激しくなるばかりか、このモニターは、胎児仮死を察知しようとしながら、一方では、それが最も起こりそうな姿勢を母体に強制するという矛盾を犯しています。
また、機械は壊れやすく、正常に動かないこともあります。助産婦が機械だけに頼るようになれば、胎児仮死を察知する直感は衰えてしまうでしょう。

セミリクライニング(セミファーラー位、半座位)では、確かに子宮の重みで下大静脈が圧迫されることで低血圧症候群、そして胎児心拍低下を起こすことがあります。
ただし、座位でも側臥位でも装着は可能です。
1980年代は分娩監視装置を臨床で使用し始めたて、まだ記録を正確にとってデーターを集める段階だったのではないかと、今思い返して考えています。


もちろん、一人一人の産婦さんにとっては「今まではこんなものは着けなくても良かったのに」と思うでしょうし、助産婦側にしても「ドップラーやトラウベでも十分に異常を発見してきたのに」と言いたくなるかもしれません。


ですからジャネット・バラスカス氏(彼女は助産婦ではありません)が、「助産婦が機械だけに頼るようになれば、胎児仮死を察知する直感は衰えてしまう」と書いていることは、とても説得力があるように見えます。
助産師として駆け出しの頃の私でさえ、この言葉に大きな影響を受けてしまったぐらいですから。


でも「察知する直感」ではだめだということを、分娩監視装置のデーターからその後いやと言うほど体験することになるわけです。


さて、当時のイギリスではすでに、頭皮電極胎児心音監視装置や無線モニター(遠隔測定法)まで使用されていたようです。
これは内測法というもので、破水させたあと細いチューブの陣痛計を子宮内に入れ、児頭の頭皮に心音測定のための電極をつけるものです。
外側法のように太いベルトで2個のトランスデューサーを固定しないので、お腹の圧迫感ありません。
またさらに無線式にすれば、長いコードで機械に「縛り付けられている」感じはなくなります。


日本で内測法を選択している施設は少ないのではないかと思います。
この違いは、無痛分娩が多くしかも分娩費用は無料で行われているイギリスと、基本的に分娩は自費で、無痛分娩や内側法を選択すれば産婦さんの自己負担になることからきているのでしょう。


ジャネット・バラスカス氏はこの本の中で、以下のように分娩監視装置に関して結論を書いています。

分娩監視装置の利用に際して肝心なのは、正常のお産の生理を妨げないことです。
監視装置を使用すること自体が異常を引き起こす原因となる場合には、即中止をすべきです。

これもなかなか説得力があるように見えるのですが、当時は、そして今でも「正常なお産の生理」とはどのようなものか、実はまだまだわからないことがたくさんあるというところではないかと思います。


とりわけ胎児が分娩という過程を経る間に何がおきているのか、何が正常なのか、まったくもってブラックボックスだった時代だったのですから。


< 「自然なお産を求めて   産む側からみた日本ラマーズ法小史」>


この本の著者は1980年から「お産の学校」を運営してきた杉山次子氏、堀江優子氏で、ラマーズ法を中心に産前教育を広げようと活動した記録をまとめたもので、1996年に勁草書房から出版されました。


この本に関しては興味深い点も多々あります。
またいつか別の機会に詳しく見直してみたいと思いますので、今回は分娩監視装置に関してのみご紹介することにします。
「第7章ラマーズ法と自然分娩」の中では以下のように書かれています。

*ラマーズ法普及の特徴
ただし、一方では「自分のお産を取り戻したいという産む側の要望が高まり、一部の医療者には過剰な分娩管理への反省が芽生えていた。そんな状況の中、ラマーズ法が入ってきた。だから本質的には精神予防性無痛分娩と同じものでありながら、受け止められ方が大分違う。第一に過剰な医療管理を避けて自然分娩を実現するための有望な方法と認識された。

精神予防性無痛分娩というのは、「陣痛は痛い」と思うのではなく「陣痛は赤ちゃんを生み出すための子宮収縮であり、陣痛がきたら呼吸法をする」という条件付けを訓練することで痛みの感じ方を少なくする方法で、日本でも1950年代に取り入れている産科もあったようです。


杉山氏が何を「過剰な分娩管理」あるいは「過剰な医療管理」と感じたのでしょうか?
それは1979年に発表された『出産白書』の結果の「3人に1人が陣痛誘発剤を使った分娩をしていること」「87.6%が望んでいない陣痛誘発剤を受けていること」「4人に1人は陣痛誘発剤についての説明を受けていないこと」などから、「医療が著しく介入していること、それなのに医療の場での説明は不足していること」と書いています。


たしかに1960年代終わりから1970年代にかけてオキシトシン、プロスタグランディンと相次いで子宮収縮剤が開発されて使用される時代に入ったようです。


それ以外に、1970年代から80年代初めにかけての「過剰な医療」とは具体的に何を指しているのか、この本からは読み取れませんでした。


1980年から始まったお産の学校も、さまざまな変化を迎えます。
1990年には「アクティブ・バース」の翻訳者きくちさかえ氏も講師として参加し始めています。そのアクティブ・バースについて杉山氏は以下のように書いています。

ラマーズ法以降も、いくつかの楽な自然分娩の方法が外国から伝えられた。その中で最も共感を集めたのはアクティブ・バースだろう。この方法の特徴はすでに述べたが、最も重要な点は産んだ女の実感から提唱されたということだ。女が自然に主体的に産んでいた昔に立ち返り、現代科学でその合理性を証明しながら、大脳生理ではなく産んだ女たちの感性から、より楽な分娩姿勢や呼吸の整え方を提言する。


このお産の学校による産前教育の運動は、自然なお産の動きの中では助産婦にも大きな影響力のあったものだと思います。
ところが1996年に書かれたこの本の中で、分娩監視装置に書いてあるのは日赤に勤務した助産師を紹介する以下の箇所のみなのです。

平澤さんが分娩室勤務だった1965年ごろまでは、それまでの伝統を守って正常分娩はすべて助産婦が取り上げ、異常がなければ医師は立ち会わなかったが、1970年代にはすべての分娩に医師が立ち会うようになった。すると往々にして自然の経過を待てず、薬物の使用や会陰切開の頻度が高くなる。さらにトラウベ1本で把握した胎児の心音も、分娩監視装置を使うようになれば産婦の動きも妨げられる。

またお産の学校の終了時に実施していたアンケート(1980〜1996年まで)の内容も、「医療介入」では促進剤、会陰保護、骨盤位の分娩方法、帝王切開などの項目はあっても、分娩監視装置の装着については全く触れられていませんでした。


産婦さんの動きを制限することになる分娩監視装置に関して、もう少し批判が書かれていそうなものですが不思議です。


推測でしかないのですが、アンケートでも十分な説明を受けていれば医療行為に対する満足度も高いという結果があったことから、「赤ちゃんの元気さを知るために必要」という説明で納得できている可能性もあるのではないかと思いました。


本当に産む側の人はあの分娩監視装置を「過剰な医療介入」ととらえているのだろうか。
もしかすると分娩監視装置を受け入れられないのは、助産師側のほうに強くそう思う人がいるのではないか。


産婦さんの不満と助産師の不満は共通点があるようで、もしかしたら認識の差や時間差がけっこうあるのかもしれません。
自然なお産の動きも、一枚岩ではないということですね。
そして産む人への視点は深まったかもしれませんが、やはり胎児の安全性についてはあまり関心がもたれていなかったのではないかと思います。