医療介入とは 33 <産婦さんにとって快適な姿勢>

病院のお産というと「機械(分娩監視装置)で身動きができない」「仰臥位のお産」「分娩台に足を固定される」「分娩台のお産は医療者の都合」「冷たい分娩室」など、これまでたくさんの批判がありました。


たしかにそうだと思う点もある反面、現実はすでに違うのに30年ぐらい前の産院のようなイメージの固定観念・先入観が根強く残っている部分もあると思います。


たとえば、「自然なお産」というと「機械類に縛られた分娩」のアンティテーゼのように受け止められることが多いのではないかと思います。
そころが、2012年9月29日の「医療介入とは 20 <ドップラーとCTGのトリビア>」あたりから分娩監視装置の普及について見直してみましたが、80年代の「自然なお産」の時には、まだ分娩監視装置を常時つけている産院の方が限られていたと推測できます。


1980年代から90年代初めの頃は、分娩第1期は多くの産院で産婦さんは自由に動くことができていたのではないかと思います。
分娩室に入ると確かに分娩台以外は選択がなかったのですが、分娩直前までまだドップラーで心音聴取をしていた産院も多くあった時代ですので、分娩台の上でも横向きになったり座ったりすることも可能だったと思います。


その時代の日本の分娩介助をあえて反省するとすれば、自然な怒責感(いきみ)ではなくバルサルバ法という「深く息を吸って、長く思いっきりいきませる」方法が主として行われていた点ではないでしょうか。
そのために分娩台に足を掛けて力を思いっきり出すようにすることが産婦さんにも求められました。
また、助産師教育の分娩介助でも基本としてその怒責法を学びました。


バルサルバ法でいきむことが必要だったり有効な場合も多くあります。
ただ、自分のいきみたいペースと違うと苦痛だという産婦さんの声にもう少し耳を傾ける必要があると思います。


あるいは「自然なお産」と対比して、病院のお産を「仰臥位、あおむけのお産」と一般化した表現を多く見受けます。
これも、いつもタイムラグがあるのではないかととまどいを感じる表現です。


というのも、1980年代にはすでにベッドの角度を自由に変えられる電動の分娩台でしたから、まったくの平らな姿勢でのお産ではないのです。
むしろ学生の頃に見学に行った助産所のほうが、昔ながらの平らな電動式でない分娩台を使用していました。
「これでは大変そう」と印象に残っています。


産婦さんにとって快適な姿勢とは何でしょうか。


まずは病院分娩の批判の象徴にされた分娩台と、分娩台のある分娩室について書いてみたいと思います・