新生児のあれこれ  31  <赤ちゃんにおむつはいらない?>

なぜヒトの赤ちゃんはおむつが必要なのでしょうか。


最近では動物園で人工飼育されている動物が紙おむつをしている様子を目にする機会が増えたので、「ヒトだけがオムツをする」ということではなくなりましたが。


それでも、ヒトの赤ちゃんは「昔は持っていた」排泄の能力や方法を失ってしまったからおむつが必要になってしまったのでしょうか?


あるいは周囲の関わり方に問題があって、排泄の自律あるいは自立を遅らせてしまっているのでしょうか?


<赤ちゃんにおむつはいらない?>


前回紹介した「おむつなし育児」のサイトの「幼児教育/保健医療関係者の方へ」の中に、2009年の日本公衆衛生学会に発表した抄録が掲載されています。

「赤ちゃんにおむつはいらないー失われた身体技法を求めて」


私たちは赤ちゃんにおむつをあてる。赤ちゃんは排泄をコントロールできず「垂れ流し」であると思っているからおむつをあてている。
(中略)
東南アジアやアフリカのお母さんたちは今でもからだに密着させて赤ちゃんを抱いており、赤ちゃんが用を足すときは身体から離し、服を汚すことはないという。
つまり、赤ちゃんの非言語的なメッセージを受け止めるという身体技法を大人の方が有していたのではないか?
それを受け止められなくなった大人のあり方こそ問われているのではないか?

これに対する答えは前回の記事に書いたとおりで、決して母親はいつも体を赤ちゃんに密着させて「非言語的なメッセージを受け止め」ていたわけではなく、しょっちゅう服を汚されていたのも事実です。


また「周産期医学 2012年4月号」(東京医学社)に、「新生児期のスキンケアについて」という連載がありますが、その中で「乾燥したモンゴルの新生児の衣服」として次のように書かれています。

 ウランバートルにあるモンゴル最大の産婦人科病院を訪ねると、まず新生児の姿に驚かされる。マトリョーシカ人形そのままにくるまれて顔だけが覗いているからである。乾燥の極みの環境では、包むことが第一となったのであろうか。大学皮膚科の女医先生方に確認したところ、全員この育児法であり、かつ児の尿は「自然に乾くので問題ない」と同じ説明であった。

ではモンゴルのお母さん達は、赤ちゃんとの非言語的メッセージを受け止める身体技法に欠けているのでしょうか?


おむつを使うか使わないか。
それはどちらかというと、その地域の環境によって適した方法を編み出してきたと言えるのではないでしょうか。


現代のように暖房設備の整っていなかった時代に、「おむつなし育児」が提唱しているような方法で赤ちゃんの下半身をしょっちゅう出して排泄させること自体、日本の気候では赤ちゃんにも負担になったことでしょう。
また失敗されて床を汚されても、掃除するための雑巾を洗うことも手が凍えるような作業だったことでしょう。


おむつをされて育てられたことで、何か問題があるのでしょうか?


そして、おむつをしているのは「垂れ流し」なのでしょうか?
大人が手を抜くためにおむつをさせているのでしょうか?





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