産後ケアとは何か 12  <「長野県における母子健康センターの歩み」より>

こちらの記事で参考にさせていただいた「長野県における近代産婆の確立過程の研究」を書かれた湯本敦子氏の、母子健康センターについての論文がネット上で公開されていました。

「長野県における母子健康センターの歩み:塩田母子健康センターの事例を中心に」
信州大学医療技術短期大学部、紀要、Vol 27,2001年
(直接リンクできないようなので、http://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/handle/10091/5254こちらのサイトからファイルをダウンロードしてください)

昭和30年代から50年代までの長野県での出産事情と、全国の母子健康センターの変遷を垣間見ることができました。


今回はこの論文をみていこうと思います。


<長野県における母子健康センター>


児童福祉法によって母子健康センター設立が決まった1958(昭和33)年に、長野県では3箇所に設置が決まり、以降順次増設されています。

長野県衛生年報によると、県内では毎年2から3ヵ所設置され、昭和46年度に23ヵ所となった。しかしその後昭和55年度より毎年1ヵ所ずつ年報からその名が消えていく。平成3年度には16ヵ所、平成8年度には8ヵ所の名が記載されているのみである。

分娩を扱った母子健康センターとその入所者については以下のように書かれています。

県内全体の入所者数は、設置開始以来増加を続けたが、出生数の減少や病院の新設に伴って昭和50(1975)年度以降減少している。

県内で最も最近まで助産部門を続けていたのは武石村母子健康センターであるが、平成5年度をもって助産部門を終了している。


<塩田母子健康センター>


1970(昭和45)年に設置され、1993(平成5)年に閉鎖された上田市塩田母子健康センターの経緯が書かれています。

上田市塩田町は、昭和45年上田市に合併される以前は、小県郡塩田町であった。ほとんど無医村状態であったという。この地区で、O助産婦は昭和24年より開業し、妊産婦の指導や自宅分娩の介助にと、地域内を駆け回っていた。しかし、昭和30年代より日本女性の出産場所は家庭から施設へと移行していったのにともない、昭和36年、O助産婦は助産所の開設を計画した。
(中略)
そして同年、周辺地域の助産婦たち8人による共同助産院ー上田原助産院として開設したのである。

開設当初は毎月12人から13人の出産があった。それだけあれば8人の共同経営でも何とかやっていくことができたという。その後 母子健康センター開設まで、仲間と地域の助産を担っていく。

そして「昭和43年、突然塩田町に母子健康センター設置の認可」がおり、1970(昭和45年)に、この助産所を前身とした母子健康センターが開設されます。


昭和50年代には、この母子健康センターでも多くの出産を扱った様子が以下のように欠かれています。

塩田周辺には相変わらず、大きな病産院はなく、地域の出産は母子健康センターが担っていた。また、母子健康センターでは、措置入院を扱うようになり上田市は勿論のこと佐久市などからも紹介があり、取扱い分娩数は年間100を越え、最も多い昭和52年度は約180の出産を扱っている。

措置入院というのは、前回の記事で紹介した「厚生白書(昭和41年度版)」に以下のように説明されています。

分娩に際して、保健上必要であるにもかかわらず、経済的理由によって、入所助産を受けることができない妊婦を入所させて、公費で費用を負担する助産措置が児童福祉法で定められ、施設としては、病院である第1種助産施設と助産所である第2種助産施設がある。

昭和30年代から40年代、まだ分娩費用にも困る家庭が多い地域があったことは、次回の記事で紹介する資料からもわかります。


そういう経済的に困窮している妊婦が多い地域には、母子健康センターが必要とされていた時代でした。


前回の記事で紹介した「広報ふじ」の、「7日分のもく浴を含んだ分娩料は6000円から8000円になりました」という一文を読んでも、それさえ払えないほど困窮した女性がまだいた時代であったわけです。


当然、産後の休養も十分にとれない女性がたくさんいたことでしょう。


<おまけ>


この塩田母子健康センターの嘱託医は上田市医師会に依頼し、「異常出産は上田市産院に搬送することにした」とあります。


周産期医療崩壊と言われる時代に入って、この上田市産院の名前をよく耳にしました。
一時は廃院の危機にあったようですが、昨年、上田市産婦人科病院として再開されたようです。


この地域の医療体制については、「ある産婦人科医のひとりごと」という産科医の先生のブログが参考になりました。
「上田地域の周産期医療の展望」〜信州大学の先生方による医療講演会〜


母子健康センターの助産部門というのは、医療の地域格差から必要とされたものといえます。
そして数年前から、また医療の地域格差が新たな形で現れています。


助産師向けの情報の中では上田市産院は「自然なお産」「いいお産」の文脈で語られることが多かった印象ですが、問題の本質は「医療の地域格差」ではないかと改めて思いました。






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