日頃からベナーの看護師の五段階を意識して働いているためか、他職種でもついつい「この人はどのレベルなのだろう」と見てしまいます。
日常的に接するスーパーのレジ係の方たちがとても参考になるかもしれません。
新入職のスタッフにはしばらく誰かがついて手取り足取り教えています。
何日かするとたどたどしさはあっても、一通りできるようになっています。
それでも予期せぬ事態、バーコードが読みとれないとか、お客さんから質問やクレームがくると手がとまってしまって焦っている様子がわかります。
どんどんと列が滞ってくると、ますます焦っているのがわかります。
1年、2年と過ぎると、そういうアクシデントもさくさくと対応できたり、周囲を見渡して臨機応変に対応したり、体の不自由なお客さんへの配慮や一言もかけられるような余裕が見えてきます。
達人級のレジ係の方がいらっしゃるとなんとなく安心もしますし、その対応に私自身も学ぶことがあります。
ここまで経験を積み安定した仕事ができるようになるまでに、本人の努力や苦労はもちろんのこと、職場全体でも大変なことがいろいろあるのだろうなと、自分の職場と重ねあわせて見ています。
<人を育てる経験があるかどうか>
この場合の「人を育てる経験」とは、社会人の意味です。
私の勤務先では分娩数の増加に伴ってスタッフを増員しているので、最近は「人に教えて育てる」ことに比重が傾いている感じです。
産科の勤務経験のない新人に近い人から、経験年数はそれなりにあるけれども今まで一つの職場での勤務経験が短い人などいろいろです。
ベナーの看護論でいうと、「一人前の看護師」とは「同じまたは類似した状況で2〜3年ぐらい仕事をした看護師」ということになりますが、たとえ産科勤務経験があっても新しい施設で、業務の流れを把握してスムーズに動けるまではこれくらいかかります。
どんなに他の施設でベテランだった人でも新しい職場でのやり方や物品の場所に慣れるまで、特に最初の半年ぐらいは「仕事が抜けないようにする」だけで精一杯な時期といえます。
その間、誰かがこまごまとオリエンテーションをし、その新入職者がミスをしないように目を配らせ、さらに自分の通常業務ももれなくこなし、患者さんへの対応の質も落とすことなく配慮しているわけです。
「人に教えて育てる」ということは、通常の業務の何倍もの負担があります。
オリエンテーション担当が続くと、胃に穴があきそうになりますね。
また、手を出し過ぎないようにじっと待つ時間が増え、忍耐力も試されます。
自分がやったほうがどんなに早く、どんなにレベルの高いケアができたとしても、じっとこらえて相手が経験できる機会を作ります。
時には相手のプライドを傷つけないようにしながら、「こうしたほうが良かったのでは」とアドバイスもしなければなりません。
新人さんなら素直に聞いてくれるところ、経験がある人を教えるのはなかなか難しいものがあります。
でもこうした経験をすることで、初めて自分もこうやって周囲の忍耐力に見守られながら育ててもらったことが理解できるのではないかと思います。
あるいはまた自分がよその職場に移ったときにも、「今の自分はここがわかっていない」と足りない部分を客観的に見ることができるようになるでしょう。
「人に教えて育てる」
職種によっても違いますが、看護職の場合は少なくとも同じ職場に数年以上いることで初めてその経験をすることができると思います。
<「達人級」の対応を理想にしやすい>
「病院勤務時代には思うような分娩介助やケアができなかった」という理由で開業したことを書かれている雑誌やサイトを時々目にします。
そういう方のプロフィールを読みながら、もしかしたら「人を教えて育てる」までの経験をされていないのではないかと思います。
中堅から達人級のスタッフだけで自分達のケアができれば、たしかにそれは理想に近いものができるかもしれません。
でも、ただ経験年数がどれだけあるかというだけではなく、人を育てる経験値というのは理想と現実を乖離させない歯止めになるのではないか。
そんなことを思うこの頃です。
病院とは新人から一人前、そして中堅まで医療スタッフを育てる場所でもある。
経験を積むというのは、そういう全体像がみえることでもあるといえるでしょう。
では、病院でよりよいケアをするにはどうしたらよいか。
それは病院とは違う施設で問題が解決するわけでもない。
そんな簡単なことを難しくさせてしまったように思います。
病院で思うようなお産ができないと飛び出した人たちに、「理想ばかりでは問題は解決しないよ」という人がいなかったわけですから。
「簡単なことを難しくしているのではないか」まとめはこちら。