簡単なことを難しくしているのではないか 1

今日のタイトルはこちらの記事で紹介したブログの一記事から(勝手に)拝借しました。


妊娠・出産・育児関係の話題について考えていると、私もまさに同じように感じていたことが多々ありました。


「その本質的な部分が理解できれば、問題はこんなに複雑な方向へはならなかったのではないか」
「解決策は別の方向だったのではないか」
そう感じることがけっこうあります。


いえ、むしろ自分自身が右往左往しながらようやく見えてきたといえます。
助産師の中でもとっくに気づいていた人もいることでしょう。
あるいは外から見ている方が、そのおかしさがわかるのかもしれません。


でも夢中になっている人たちには声をかけにくいものです。
声をかけたとしても、現実的でどこかあいまいな言葉(助言)というのは耳に届かない可能性もあります。


<偏差値を感覚的に理解する>


私はちょうど共通一次試験が導入された頃の世代になります。
マークシートの塗り間違いだけで一生を棒に振る可能性と、偏差値で志望校が振り分けられて合格率をあげることに重点がおかれてしまったようなむなしさを当時は感じていました。


その体験から「偏差値」=個人の学力判定という思い込みに長いこと私自身が縛られ、偏差値というものをあまり考えたくないという意識が働いていたように思います。


wikipediaでは偏差値について以下のように説明されています。

ある数値が母集団の中でどれくらいの位置にいるかを表した無次元数、平均値が50、標準偏差が10となるように標本変数を規格化したものである。

相変わらず統計は苦手で、医療統計の本を購入してあるのですがなかなか開こうという意欲がでないままです(言い訳)。


ただ、うまく表現できないのですが、最近この「母集団の中でどれくらいの位置にいるか」ということを見ながら仕事ができるようになったように思います。


こちらの記事でベナーの看護論のなかの「達人(Expert)」を紹介しました。


ベナーは達人看護師の特徴として「患者に傾倒すること(commitment)と状況に巻き込まれること(involvement)」をあげていますが、これを文字通り受け止めると「熱血看護師」のイメージになりそうなので、私なりの解釈を以下のように書きました。

目の前の患者さん(あるいは妊産婦さん、褥婦さん、そして新生児)に起こりうる問題点を予測できる。
その問題点を解決方法とともに、その目の前の患者さんの個別性が理解できる。
どの時点で、どのような説明や対応が必要かどうか予測し、実施ができる。

起こりうる問題点を予測するためには、たとえば全妊産婦さんの母集団の中で「この目の前の妊産婦さんは平均的な経過なのかどうか」を意識する段階があります。


「平均的な経過か」「平均的ではない経過になるか」
その自分の中の「勘」のようなものの、実は偏差値のグラフに近いものを描いて判断しているように思うのです。


母集団、全体像と言い換えられるのかもしれませんが、それが見えるようになると「傾倒する(commitment)と状況に巻き込まれる(involvemnet)」とは一見正反対のようですが、「無駄な介入はしないで見守る」余裕が出てくるのだと思います。


<職能集団における偏差値>


こうした熟練した「達人」級の助産師に、今までの勤務先でも出会ってきました。


でも助産師全体の割合からすると、それこそ偏差値の表で言えば端っこで平均から外れた部分になるのではないかと思います。


中央値あたりの年代というのは、現実の問題解決に対して理想の比重が高くなりやすいかもしれません。
達人級の人たちは、すでにその理想と現実の中でもがきながら現実的な答えに到達していることが多いのではないかと思います。


「簡単なことを難しくしているのではないか」
そのひとつとして、「理想と現実のあいだで折り合いをつける」難しさもあるのかもしれません。


なんだか出だしから難しくしてしまったような気もしますが、「簡単なことを難しくしているのではないか」についてしばらく書いてみようと思います。




「簡単なことを難しくしているのではないか」まとめ。

2. 経験は積んでいくもの
3. オールマイティにはなれない
4. 初産と経産の違い
5. 母乳育児成功のための10か条
6. 「完全母乳」という言葉
7. 災害時の授乳支援
8. お母さんが動けるようになってからではダメですか?
9. 看護師を育てるのに必要な年数
10. 「出産」や「育児」の小さな神になりたがる
11. 喋るときにはつばが飛ぶのを防ぐ
12. 会話厳禁のお店があったら
13. 「今、実行・拡散してほしいこと」