簡単なことを難しくしているのではないか 7  <災害時の授乳支援>

本棚が倒れそうになるのを押さえ、ようやく揺れが落ち着いたところでつけたテレビに映っていたのは、大津波が人を車を飲み込んでいく様子でした。


今、この瞬間に起きていることを見てしまっているのだという恐怖感と、次々に各地の被害が伝わってくる中でとてつもなく大きな災害だという全体像が見えてきて、「日本は終わりだ」としか感じられませんでした。


翌日も余震が続き、列車運行状況を確認しながらなんとか出勤する途中でも、街はひっそりと静まり返っていて、誰も彼も声もなく歩いている・・・そんな感じでした。


店からは商品がほとんどなくなっていました
食糧も日用品も。
何か商品が入ってくるという話が伝わると、店の前には長蛇の列ができていました。
なにかまるで映画でも見ているかのように、現実感を感じないのが不思議でした。



でも電気・ガス・水道が復旧していたので、なんとか家にあるもので乗り切きろうと思った矢先に原発事故が起きました。
「本当に日本はどうなってしまうのだろう」と、そこから2〜3ヶ月は生きた心地がしない毎日でした。


水道水の放射性ヨウ素汚染が報道されて2時間後ぐらいに商店街を通ったら、ペットボトルの水はどこも売り切れていたようでした。
小さなお子さんがいらっしゃると思われるお母さんたちが、困った様子で立ちすくんでいました。


私も勤務先での調乳のための水の確保が大変だったので、ミルクを使っているお母さんと赤ちゃんは本当に困るだろうなと胸が痛みました。


その頃、ネットで「母乳は吸わせれば出るからやめないで」「粉ミルクや哺乳ビンの配布は必要な人だけにして」という呼びかけを目にするようになったことはこちらで書きました。

緊急時に母乳だけで育てられている子どもの割合が多ければ多いほど、その時人工乳で育てられている子どもに支援をさしのべることができる。

余震が続き、原発事故の見通しがたたない中で、生きているというリアリティさえ感じられなくなりそうな毎日の中で目にしたこの言葉は、さらにリアリティのないものに感じました。


大きな災害のときというのはデマだけでなく、こうした現実的でないのに人の気持ちを掴みそうな表現も広がっていくものなのかと思いました。


<なぜ違和感を感じたのか>


なぜ上記の表現に違和感を感じたのでしょうか。


まずひとつめは「母乳の割合が多ければ多いほど」という部分です。
日本では、各月齢を平均しても半数以上の母児が、回数や量には個人差があっても何らかの頻度でミルクを使用しています。
それは母乳分泌に関係なく、生活上必要としてミルクを選択している方もいらっしゃいます。


「今」起きた災害では、その「今」の現状に合わせた対応が必要です。


「母乳の割合が多ければ多いほど」は将来への願望が込められたものかもしれませんが、現実の「今」の問題解決にはならないものです。


ふたつめは、たしかに平時にミルクを使う母児が少なければ、災害のために備蓄するミルクは少なくて済むかもしれません。


ただしそのためには以下の点をきちんと検証してからの話ではないでしょうか。

・どの程度の災害規模、避難期間では緊急時にも母乳だけで育てられるのか。
・過去の災害時に、母乳だけで育てられた割合、ミルクが必要になった割合や状況はどうなのか。
・災害時に一時的にミルクを補足あるいは増量し、その後ミルクを減量・中止できた割合はどれくらいか。
・災害時以降、母乳を止めてミルクに変更した母児の割合はどれくらいか、その理由は何か。
・災害時にミルクを必要となった母児の状況はどのようなものであったか。
・その際、何らかの支援があればミルクを使わない可能性があったのか。
・災害時にも母乳だけで育てるためには、具体的にどれだけの食糧・水が必要で、どのような支援が必要なのか。

こうした過去の災害時における母乳育児に関する基本的な大規模調査が行われた記憶が私にはないのですが、どなたかご存知の方がいらっしゃったら是非おしえてください。


案外と、「私は大丈夫だった」「私は母乳が止まってしまった」という個人的体験談のレベルの話が災害時の授乳支援に使われてしまっているのではないでしょうか。


話はそれから、つまり過去の震災時の経験を検証してから、ではないかと思います。


そしてたとえ過去の震災の経験が検証されていたとしても、あの「未曾有の」とつく震災時には、やはり「過去の経験ではそうだったかもしれないけれど、これほどの規模の震災は体験したことがないので、どうしたらよいかはわからない」という姿勢が必要ではないかと思います。


でもなにか断定的な言葉を求めてしまう。
それが、震災時のある種の高揚感のような心理状態かもしれません。


あの東日本大震災で広がった母乳育児に関するメッセージは、きっと人の心にかなり強く残っていることでしょう。
次の震災時にも繰り返されていくかもしれません。
簡単なことを難しくしてしまう、私にはそう思えてしまう内容でした。




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