災害時の分娩施設での対応を考える 9 <東日本大震災と原発事故発生時の記憶>

少し間があきましたが、もう少し分娩施設での防災対応について続きます。


地震津波を含む水害は、日本に暮らしていればどの地域でも誰もが経験しうることでしょう。
状況や規模の違いはあっても、過去の経験がそれなりに伝わっています。


ところが今回の東日本大震災は「未曾有の」規模であるとともに、広島・長崎の原子力爆弾による被曝という戦争によるものとも異なり、平時に広範囲に放射線物質が広がる原発事故という日本では経験をしたこともない状況が起こりました。


それまでは限られた地域にだけ想定されていた原発事故への対応でしたが、電気を原発にまかなわれている日本に住んでいるからには、全国どの地域でも「防災」に原発事故も入れる必要があることを認識させられました。



東日本大震災の周産期医療の状況が報告されている医学・看護系雑誌をこちらの記事に挙げました。


残念ながらどの雑誌にも福島県の報告はなく、「産婦人科の実際」2012年1月号(金原出版)の「特集 緊急有事における産婦人科体制づくり」の中で、唯一、「福島原発事故後に日本産婦人科学会が行った情報発信」という報告がありました。


原発事故直後から現在に至るまで、福島県の周産期医療はどのような対応を迫られ、どのように立て直してきたのだろう。
その教訓を、私達はどのように活かしていく必要があるのだろう。


知りたいけれど、今もなおなかなか情報が伝わってきません。


福島第一原子力発電所事故直後の記憶>


2011年3月11日14時46分、夜勤明け(二交替なので16時間の夜勤)で帰宅し、寝ようとしたところであの地震が起きました。


大きな余震が続く中、各地の津波の映像、地震の被害の報告が次々と報道されているのに釘付けになっていました。


夕方になると、大きな駅周辺で帰宅難民になっている人たちの姿が映し出されていました。
もしクリニックが忙しくて夜勤明けでももっと帰りが遅くなっていたら、私もあの中にいました。


遠距離通勤なので、どうやって家までたどり着けるだろうか、歩いたら何時間かかるだろうか、途中にある大きな川は渡れるのだろうか、いろいろなことを考えていました。


勤務先のクリニックは近所に住むスタッフが今晩はなんとか頑張ってくれるだろうから、明日の朝までに出勤の手段を考えて、何日間か長期に泊りがけになっても大丈夫なように備えようと考えました。


とにかく災害の規模を把握し、インフラの被害や復旧の目処を把握しなければと、NHKの報道をずっと追っていました。
私自身は徹夜2日目になるというのに、眠気も疲れもどこかに飛んでしまうぐらいの非常事態でした。



wikipedia福島第一原子力発電所事故の経緯を見ると、16:36に「1号機・2号機の非常用炉心冷却装置による「冷却装置注水不能」が起き、その後19:03に「枝野官房長長官記者会見、原子力緊急事態宣言発表」とあります。


当時の記憶もあいまいになっているのですが、テレビをつけっぱなしにしていたので、この19:03の枝野官房長官の記者会見は見ていたと思います。


地震津波の大規模な震災に加えて原発事故が起きたことを知った時には、もう何も現実感が感じないほどになっていました。


その後、20:50に「福島県対策本部から1号機の半径2kmの住民1,864人に退避勧告」、21:23に「1号機半径3km以内の住民に避難命令。半径3〜10km圏内の住民に対し「屋内退避」の指示が出た」となっています。


現地の停電が続く中、どのように復旧作業が行われるのか大きな不安はありましたが、1999年におきた東海村JCO臨界事故でもたしか避難勧告がでたはずというあやふやな記憶を頼りに、なんとか収束するのではないかと思っていました。


そうこうしているうちに、都内では日付が変わる頃に私鉄が動き始め、3月12日の電車の運行予定が少しずつ放送され始めました。


午前中早めに家を出ればなんとか出勤できそうな目処がたったので、1〜2時間、仮眠をとって、翌朝家を出ました。


上記のwikipediaによると、「3月12日15:36、1号炉付近で水素ガス爆発が発生」とあります。


その時間は、クリニックで非常物品の手配や対応に追われていました。水素爆発のこと、そしてそれがそのどのような状況と意味を持つのかを知ったのは半日ぐらいしてからだったと思います。


非常電源が確保できて冷却装置が作動しても、かなり大変なことになっている。
さらにもし、冷却できなければ・・・そこから先は何も考えたくないとさえ思う事態でした。


医療従事者で放射線に多少の知識があるとはいえ、周産期医療の場合には放射線あるいは放射性物質とはほぼ無縁の世界です。


30年以上前に放射線の授業で習った「時間・遮蔽(しゃへい)・距離」という「放射線防護の三原則」が頭に浮かんでくるだけで、当時はこの状況にどのような対応を考えたらよいのか全く思いつきませんでした。





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