災害とデマ

今までも大きな災害が起きると、関東大震災朝鮮人暴動に関する流言と朝鮮人事件が頭によぎりました。


いつ、どのように、その関東大震災のデマが引き起こした悲劇について教訓として知りえたのか記憶にありませんが、いつも思い出します。


どうして人は、そのような行動をしてしまうのだろう。
自分も知らない間に、デマに加担してしまう可能性があることにも怖さを感じます。


そして、当時そのデマを口にした人たちは、どのような思いで生きたのでしょうか。
もしかしたら私の親戚にもいるかもしれない。
その後、何もなかったように暮らしたのでしょうか。
謝罪や良心の呵責は、どのように表現されてきたのでしょうか。


これほど、人の心に教訓として残るようなデマに加担したとしても、人は忘れたふりや自分は無関係だったと思い込むこともできる。


大災害直後のあのような高揚した感情やリアリティを感じない精神状態は、自分がデマのようなことに加担したということさえ忘れ、何もなかったことにできるのかもしれません。


そこにも人の社会の怖さのようなものを感じたので、私の中にも関東大震災のことは強く印象に残ったのではないかと思います。


<噂(うわさ)>


wikipediaに、デマや流言飛語についてわかりやすく書かれていました。

噂(うわさ)とは、その内容が事実であるかどうかを問わず、世間で言い交わされている話のこと。
類義語として飛語・ゴシップ・デマなどがあり(以下略)

飛語

根拠もない無責任な噂を意味する言葉で、流言とあわせて流言飛語という四字熟語を構成。

デマ
デマとはデマゴギーの略で本来は政治的な目的を持って意図的に流す噂のことであり、転じて単なる嘘や噂、流言などを指すこともある。

流言
流言とは、正確な知識や情報を得られず、明確な根拠もないままに広まる噂のこと。俗説、風説、流説ともいう。ある一部での話が連鎖的に広まり、それがやがて全体に広がっていく形態を取る。

この「正確な知識や情報を得られず、明確な根拠もないままに広まる」というところが、まさに「不勉強で思い込み」のニセ科学」を容認しやすい状態になることを、今回の東日本大震災でも痛感しました。


<「東日本大震災における流言」>


東日本大震災における流言」について以下のように説明されています。

震災発生後1ヶ月で80個のデマが広がり、大別して11種類に分けられるという。内訳は「情報の混乱によるデマ」「科学的・医学的知識の欠如によるデマ(疑似科学を含む)」偏向報道によるデマ」「政治家を貶めるデマ」「外国の支援を政府が妨げているとするデマ」「政府批判のデマ」「その他企業・個人を批判するデマ」「人種差デマ」「日本ユニセフアグネス・チャンを批判するデマ」「好意的すぎる予断」「洒落がデマと化したデマ」などに分けることができる。

こういう誤った情報が流れる可能性を知ることも、防災教育の大事な視点ではないかと思います。


特に、医療従事者は「医学的知識欠如によるデマ」を阻止すると共に、自らがデマの発信源にならないようにすることが大事だと思います。


<「流言の発生条件」>


流言にはそれを話す人と、受け止める人がいるわけですが、それぞれの説明もまたわかりやすく書かれています。

噂が広がる要因の一つに”話をする人”が挙げられる。
その人に信用がある、または情報をよく知っているなどの条件が重なれば、聞き手はそれが本当であると信じてしまう(検証をせずに鵜呑みにしてしまう)、次々と伝播していく、さらに「これはためになる」と思い込むことから良かれと思って(=善意で)自分の周囲の人や知人に広く伝播させてしまう傾向が強い。

出産という生命を預かる仕事は相手からの信頼がなければできないものです。
その信頼を誤った方向に利用し、助産師の中でホメオパシーが広がりました。
それぞれの助産師は、善意で妊産婦さんに勧めたのだと思います。


流言の伝えて、受け手側の心理的な要因として、「不安」と「批判能力」も重要である。一般に人々の不安が高い状態(例:災害発生直後など)では、流言に対する被暗示性が高くなり、流言は受け入れやすくなり、また伝播されやすくなる。

また受け手側でも、不安が強い人ほど流言を信じやすくなるという傾向が観られる。

一方流言を受け取っても、批判能力の高い人の場合には、他の情報現にあたってチェックするなどの情報確認行動をとることにより、真偽を見分け、流言の伝播を食い止めることができる。

たしかに批判能力は大事なのですが、ただの批判能力では頑なに自分の聞きたいことだけに耳を傾けやすいことをkikulogのホメオパシーの議論で感じました。


批判能力とともに、メリット・デメリットなどさまざまな視点から総合的に物事を見る目が大事ではないかと思います。


いずれにしても、健康への不安や大規模災害などの不安が強い時期には、医療関連のデマが起き得ることを教訓として残していく必要があることでしょう。


そしてもし医療従事者の中でも流言に加担してしまったら、その過ちを認める勇気が再発防止になるのではないでしょうか。


小さい頃に必ず大人から言われますよね。
いけないことをしたら正直にいいなさい、と。
そして正直に言えば、その勇気を誉めてもらえますね。

大人のほうが、難しいことなのかもしれません。