乳児用ミルクのあれこれ 10 <乳児用ミルクが作られ始めた時代>

乳児用ミルクを製品化したのは、Henri Nestleのようです。
wikipediaネスレには以下のように書かれています。

1860年代に薬剤師のアンリ・ネスレ(Henri Nestle)は、母乳で育つことができない新生児のためのベビーフードを開発した。彼の新製品は、母乳もそれまでの一般的な代替品も受け付けなかった早産児にも効果があった。新生児の命を救ったこの製品の価値はすぐに広く知られることとなり、Farine Lactee Henri Nestleはヨーロッパの多くの地域で販売されるようになった。

ネスレ社は1866年に設立された、とあります。


当時、この早産児の命を救った乳児用ミルクはどのような製品だったのか詳細は書かれていません。


日本ではどのような乳児用ミルクの歴史があったのでしょうか?


<練乳の時代>


日本乳業協会に人工栄養の歴史というサイトがあります。
日本でも、明治時代(1868-1912年)に入って乳児用ミルクが開発されていく様子が書かれています。

明治時代
明治に入ってからは、牛乳が利用されたり、加糖練乳も使われるようになりました。加糖練乳は明治4(1871)年頃製造され、牛乳よりも保存性が高く貯蔵に便利なため、薄めて使用されていました。しかし当時の人工栄養は衛生面や希釈をめぐる問題もあり、乳児の死亡率も高かったようです。

加糖練乳とはいちごにつけて食べるあの甘く濃縮されているミルクのことです。
現在はチューブ入りが一般的ですが、私が子どもの頃は缶入りしかありませんでした。


日本ではこの加糖練乳のほうが一般的かもしれませんが、1980年代に暮らした東南アジアの国々では無糖練乳が主流でした。
wikipediaでは、この牛乳を濃縮して缶などにつめた製品はスイスのメインバーグが発明し1885年に売り出したと書かれています。


ついでに缶詰の歴史を見ると、日本で始めて缶詰の製品ができたのは1871年でいわしの油漬けとあります。


つまり1871年から1885年の間は、日本だけでなく世界でもこの練乳(加糖・無糖)ともに、缶詰のように未開封であれば長期保存が可能な製品ではなく、製造してから消費するまで生鮮食料品のような扱いだった可能性があります。


しかも、家庭用冷蔵庫が始めてアメリカのGM社によって作られたのが1911(明治44)年です。


冷蔵庫のない環境で、最初は長期保存のできない練乳が乳児用として使われ、その後、開封までは長期保存ができる缶入りのミルクになったわけです。
ただ、開けたら保存する手段がないので、乳児には危険な面が多々あったことでしょう。


<牛乳と結核菌感染>


乳児用に成分を調整していない牛乳など、あるいは殺菌されていない牛乳などを飲ませることは乳児の消化機能に負担がかかります。


たとえ新鮮な牛乳が手に入リやすいようなヨーロッパでも、牛乳を介して牛の結核が人間に感染し広がることがあったようです。
はるか昔、看護学生の頃に牛乳から結核に感染していた時代の話を聞いてとても驚いた記憶があります。
1882年にコッホが結核菌を発見し、牛乳を低温殺菌する方法がとられるまでは新鮮な牛乳でさえリスクを伴うものだったようです。


フランスでの当時の牛乳による結核の流行について書かれたものがありました。

「フランスにおける結核流行と公衆衛生(4)」
大森弘喜氏、成城・経済研究 第194号 (2011年11月)

p.42の「牛乳の煮沸」あたりから、どのように牛乳からの結核感染に対応していったかがかかれています。
殺菌していない牛乳から製造されたバターからも、感染していたようです。

19世紀末から広まり始めた母乳に代わる人工哺乳は、乳幼児に結核感染させる危険を増大させたので、牛乳の殺菌は特に重視され、内外の結核会議では必ず決議され社会に警告された。(同上、p.45)

でもそうした殺菌されたり、製品化された乳児用ミルクはまだまだ稀少であり、手に入れられる家庭のほうが少なかったでしょうし、たとえ購入できても冷蔵庫がない時代に腐敗しやすかったことでしょう。


飲ませることで乳児がかえっておなかをこわして死亡するリスクがあってもなお、社会で求められたのが乳児用ミルクだったといえるのではないでしょうか。
どんな状況にあっても母乳を十分に飲ませられるような方法がないからこそ、試行錯誤が続いているのではないかと思います。


そして、より安全に、より長期に保存可能な乳児用ミルクが求められていくのもまた、自然な流れであったことでしょう。




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