裸の王様に服を着せるのは誰か

久しぶりの「助産師の世界」と「今日はちょっと黒」のタグです。
「今日はちょっと黒」のタグを初めて使ったのは、「記録に残しておきます」の記事でした。そちらを読んでいただければ、このタグはどのような時に使うのか、何となく伝わるかもしれません。


<「裸の王様」>


「裸の王様」という童話は、誰もが小さい頃に一度は聞いたはなしではないかと思います。


この童話は子どもの心にどう残っていくのでしょう。


童話の中の笑い話のように、心を通り過ぎていくだけのこともあるのでしょうか。


私は最近、この童話は「大人になるとこういう世界がどこにでもあるよ」という警告の話であったという現実感がひしひしと感じられるようになりました。
「王様は裸だよ」と気づくことがいかに難しいか。
もっと難しいのが、「裸の王様に誰が服を着せられるのか」ということかもしれません。


琴子ちゃんのお母さんのこちらの記事を読んで、まず思い浮かんだのがこの「裸の王様」の童話でした。


<裸の王様に服を着せるのは難しい>


私の同僚の娘さんが初めて妊娠した時に、自宅分娩を選択しました。数年前のこと。
分娩施設に勤める看護師ですから、お産の怖さを娘さんに切々と伝えましたが聞く耳を持ってくれなかったようです。


さらに妊娠中に「助産院は安全?」の記事にあるような独特の食事療法を勧められたようで、娘さんは信じこんでいきました。
「なんだかわからない玄米を炊くための特別な釜とか買わされるの」「家でも『安産のための』特別な食事を作るようにその助産師から言われて、私たちとは絶対に同じものを食べない」と同僚は心を痛めていました。
「『自分たちは新しいことをしているのだから、それを理解できないお母さんのほうが悪い』と言われるのよ」と。


その頃、kikulogのニセ科学の議論に出会っていた私は、正論ではこういう人を説得できないこと、そしてそれをとめられない家族の苦しみを目の前で実感することになりました。


頑なになった娘さんの心を出産までに変えることはできないと感じた同僚と私は、分娩時に少しでも異常を感じたら即、その助産師に何がなんでも医療機関に搬送させて病院で出産させる、という最後の手段を考えていました。


ところが搬送の機会になるほどの異常も起こらず、自宅での出産は無事に終わりました。
児頭娩出直前に徐脈になると、ホメオパシーのレメディを口に入れられていたそうです。回復すると「レメディが効いた」と言って。


さらに、「胎内でゆがんだ背骨を真っすぐにさせる」と生まれた直後の新生児、彼女の初孫は目の前で15秒ほど逆さづりにされました。


同僚から出産の様子を聞くと、助産師としてはありえないようなことばかりでした。


この助産師のしていることをどのように変えられるだろう。
同僚と悩みましたが、直接抗議すれば、出産直後でまだその助産師を信頼している娘さんは母親に心を閉ざすことでしょう。
家族が崩壊する可能性があります。


私が間接的に抗議したとしても、状況から同僚の娘さんだとわかることでしょうから、やはり家族関係を壊す可能性があります。


「裸の王様」に服を着せるのは難しい。
つくづく感じたのでした。


この場合、その助産師とその助産師を信じた娘さんともに「裸の王様」なのかもしれません。

裸の王様・・・新しい服が好きで、逆らえる者は誰もいない


<「裸の王様」に気づかない助産師の集団>


同じ頃、助産師とホメオパシーの問題(リンク先の「山口新生児ビタミンK欠乏症事故」参照)が起きました。


ホメオパシーを出産に使うのは「裸の王様」のようなことでしかないことに、これで助産師の世界は気づくだろうと期待しました。


ところが、ホメオパシーマクロビオティックや整体にすり替わっただけでした。こちらの記事で挙げたような、百花繚乱の代替療法助産所だけでなく病院でも好意的に取り入れられています。


本当に、裸の王様に服を着せるのは難しいと感じます。