帝王切開について考える 7 <手術療法とは人生の一大事である>

帝王切開の術後の回復過程はどのようなものなのだろうか。そしてお母さんたちにはどのような休息が必要なのだろうか」
それに対する答えがみつかるような予感がする本を見つけました。



看護学生の教科書として出版されている「成人看護学 周手術期看護論 第3版」(雄西智恵美氏・秋元典子氏編集、ヌーヴェルヒロカワ、2015年)です。


この本から現在の周手術期看護について学び直しながら、帝王切開の術後のケアについてしばらく考えてみようと思います。


<周手術期看護という概念はいつごろからできたのか>


私が看護学生だった1970年代末から80年代初頭では、まだ「周手術期看護」という言葉は使われていませんでした。
「外科系看護」があり、その中のひとつとして手術室看護といった分け方だったと記憶しています。


そして当時は教科書自体が薄く、また医学・看護の専門書を扱う専門書点でも手術に関する参考書はほとんどありませんでした。


最近の看護学生は、この「成人看護学 周手術期看護論」だけでも数百ページの厚さがある教科書を使って手術に関連した看護を学んでいるのだと思うと、本当にうらやましい限りです。


30年の間の医学の発達と、それにともなう臨床看護の実践からきちんと看護の理論が積み立てられて来た証だと思います。


その教科書には、「周手術期看護」という言葉がいつから使われるようになったかも書かれていました。

周手術期(perioperative)、および周手術期看護(perioperative nursing)という用語は、1978年にフィリピン・マニラで開催された第1回世界手術室看護婦(師)会議(Association of Operating Room Nurses:AORN)で提唱され、それ以来用いられるようになった。(p.4)


1978年といえば私が看護学生の頃ですが、そういう動きがあったことは全く知りませんでした。いつの間にか書店で「周手術期看護」という本を目にするようになりました。


<手術の特殊性とは何か>


分娩施設で働いているので日常的に「手術」という言葉を使っているのですが、こうして教科書で手術の歴史を読みなおしてみるとなかなか興味深いものがあります。


「成人看護学 周手術期看護論」の「手術療法の変遷」(p.7)にはこんなことが書かれています。

 病を避けて通ることのできない人間は、人類誕生と同時に病を治す方法の必然性に直面した。手術療法は、けがや動物との接触による創傷などへの手当から始まった。
 経験的に始まった手術療法は、古代から連綿と行われ続け、気の遠くなるような長い歴史を経て、医学のみならず周辺領域の発達に力を得て飛躍的に進歩を遂げ、今では高齢者への手術適応や臓器移植術までも可能にし、人間の抱える病からの苦痛や生命の危険回避を可能にしつつある。さらに侵襲性の低い手術手技の開発によって、苦痛や生命の危険回避と同時に、術後のQOLの保障が可能になりつつある。


母が心臓の手術を受けたことをこちらの記事に書きました。


歩くだけでも息切れと激しい不整脈に悩まされていた母でしたが、当時80歳を目前にしていましたから、心臓手術は積極的には推奨されず、おそらく内科的な治療が選択されるのではないかと予想していました。


ところが受診した急性期病院では、「70代ならまだ大丈夫です。手術をすれば平均寿命まで生きる事ができるでしょう」と説明を受けて、あっけなく手術が決まりました。


その診断どおり、心臓手術によって母は息切れや動悸など「いつも死を意識させられる」心身の苦痛から解放されました。


反面、手術にはメリットもあればデメリットもあります。
上記の教科書では「手術がもたらすメリットとデメリット」(p.12〜)で以下のように書かれています。

手術療法は、治療の中でも唯一、合法的とはいえ「メスやファイバースコープで人間の身体を傷つける」治療法であるため、死と隣り合わせの医療といっても過言ではない。「人間の身体を傷つける」がゆえに、手術は生体にとって侵襲である。それでも手術療法が選択されるのは、それがもたらすデメリットよりも、メリットの方が上回ると考えるときのみである。すなわち「再び健康を取り戻せる・取り戻したい」という期待や願いをかなえる可能性のほうがデメリットよりも大きいと考えられるからである。


母も、術後1年ぐらいは胸にできた大きな傷跡にボタンや服のかたい縫い目があたるだけでも苦痛がありましたし、さらに予期せぬ術中合併症で目が覚めたら半身麻痺になっていたという大きなデメリットもありました。


それでもあの呼吸苦がなくなり、手術をして良かったと母自身も家族も受け止めています。


しかし、手術療法は、その期待感の反面、生体にとっての侵襲であることから、当事者のみならず周囲の人々すら巻き込む人生の一大事であり、さらには人々にさまざまな不安・心配・恐怖心などをもたらすことが多い。

本当に手術は本人や家族にとって「人生の一大事」だと思います。
ところが、その回復過程に育児が重なるためか、帝王切開の術後にはそういう視点が少ないような気がします。


「お産は病気ではない」につながるような、「帝王切開は健康な手術」とでもいうのでしょうか。


何が帝王切開の術後看護に足りないのか。
それは「手術侵襲と生体反応」という視点ではないかと、これらの本を読んで思いました。


そのあたりをもう少し続けます。