記憶についてのあれこれ 8 <コーヒーの味>

自宅で飲んでいるコーヒーは、ここ十数年来、スターバックスの豆を購入しています。


1995年にスターバックスが日本に初めて出店したようですが、いつ頃から利用するようになったのか記憶にありません。


最初はおそらく、友達と飲みに行った後立ち寄ったのだと思います。
完全に禁煙で、コーヒーを楽しめるお店は日本にはスターバックスしかありませんでしたから。


そのうちに、ちょっと高いけれど自宅用に豆を買ってみようと思いついたのだと思います。
250gが千円以上というのは、それまで高級だったブルーマウンテンを買うようなものでしたから、清水の舞台から飛び降りるような気持ちだったか大見得を張ってだったか。


スターバックスを利用するおしゃれな私」という気持ちも多少あるかもしれませんが、今でも店頭でレジを待つ間はなんだか居心地の悪さを感じるし、ただでさえあまり滑舌のよいほうではない私にはあのドリンクの注文は拷問に等しいですからね(笑)。


このところコーヒーのことを考えているうちに、あの濃い味が好きなのかもしれないと思うようになりました。
ある記憶とともに。


少数民族の村で飲んだコーヒー>


前回の記事で、東南アジアのある少数民族の地域で地元産のコーヒーを飲んでいたことを書きました。
ヤカンで煮出し、しばらくしてコーヒー豆が底に沈んだ頃に上澄みの部分をコップに注いで飲んでいました。


そのコーヒーにキャッサバやバナナ、サツマイモをゆでたものが朝ごはんでした。
バナナは日本向けの甘い果物ではなく、調理用のものです。


キャッサバをゆでたものは私の大好物でした。
wikipediaには「毒抜きが必要」とありますが、その地域では普通に皮をむいて(縦に包丁で少し切れ目をいれると簡単に一回り皮がはずれます)茹でていました。
サツマイモほど甘みがないので、あっさりしていくらでも食べられるのです。
「貧乏人の食べ物を好きな日本人」と言われていました。


1990年代、その地域を時々訪ねるようになって、帰国間際には必ずコーヒー豆を挽いたものを買って帰りました。


そのコーヒーがなくなるまでは、現地と同じように煮出す方法で入れたコーヒーと、キャッサバと調理用のバナナは手に入らないのでサツマイモが私の朝食でした。


現地では「これほどおいしいコーヒーはない」と思っていたものも、日本でいれてみるとがっかりするほど味が落ちたように感じます。
それでも1990年代当時、日本で購入できたコーヒー豆よりも、やはり私にとってはコーヒーの原点と思えるほどでした。



<あの味に近いのかもしれない>


スターバックスで最初に買ったコーヒー豆は、たしかスマトラだったと思います。


今はなくなってしまいましたが、スラウェシもよく買いました。
どちらもインドネシアの名前です。
きっと、あの東南アジアで飲んだコーヒーに味が近いのではないかと期待して買ったのでした。


それまで日本でコーヒー豆といえば中南米かアフリカを思い起こす名前のものばかりでしたが、この東南アジア名のコーヒー豆が手に入ることもスターバックスで購入するようになった理由のひとつかもしれません。


ただ、他の「ケニア」や「コモド ドラゴン」などと飲み比べてもきっと気づかないほど、味の違いはわからない味覚の鈍感な私ではないかと思っています。


以前「スターバックス成功物語」かなにかで読んだ記憶があるのですが、コーヒーといえば薄いアメリカンだった社会に深煎りの濃い味を広げることになったように、それまでの日本では手に入らなかったような深い味が、私にとってはちょうどあの東南アジアのコーヒーと通じるものがスターバックスの豆を買い続けている理由ではないかと思います。


コーヒー通の方々には邪道といわれそうなスターバックスかもしれませんが、私には東南アジアで過ごした日々が蘇ってくるコーヒーなのです。


あ、それからコーヒー豆を買うと「STARBUKS BEANS CARD」にスタンプを押してくれます。あっという間にたまるので、コーヒー豆に替えてもらっているのもひそかな楽しみのひとつです。





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