食べるということ 28 <魚の食べ方>

50半ばを過ぎて、年々、食べ物の嗜好が変化してきたようです。


にんにく生のネギ類が苦手になったことは書きましたが、魚に関しても変化しています。
お刺身や生の魚がちょっと苦手になってきたのです。
握り寿司だとまだ食べられるのですが、食べる頻度も減ってきました。
なんだか、味覚が幼児のようになってきたのかなと感じています。


まあ、20年ほど前に漠然と不安に思ったことが現実になって日本近海の漁獲量が危ういほど減少しているようですし、スーパーや魚屋さんで売られている魚の値段も高いので、魚が好きでもぐっと食べる回数を減らすぐらいでちょうどいいのかもしれません。


もうひとつ、夜は軽く、家で調理しないように変化してきたので、家で調理する必要がある魚を買うことがほとんどなくなりました。


魚を食べたくなったら、味付けが合わない時もありますが、調理済みの魚を買っています。


ただ、ちょっとそれだけでは値がはるので、魚の缶詰を常備することが増えました。
そして、最近はレトルト製品が豊富にあって、選ぶのも楽しいですし助かっています。
従来の缶詰やレトルト食品のような保存の効く食品は、往往にして塩分が多かったのですが、最近では食塩相当量も明示されているので、その点でも助かります。


20年前にホームステイさせてもらった東南アジアの漁村で、漁村なのに自分たちが食べる魚もなく、缶詰の魚を分け合って食べていたことを思い出しています。
イワシのトマト味の缶詰を玉ねぎと一緒に炒め、水を加えてカサを増やして、小さなひと缶が数人のおかずになりました。
でも、ご馳走でした。その地域では。


あの頃、世界中の沿岸部に日本が無償援助で近代的な漁港を作ったおかげで、今もまだ世界中から魚を買い集めることができているのかもしれませんが、それも魚が少なくなってしまえば続かなくなってしまうことでしょう。


イワシやサバといった、かつて安価で豊富に取れた魚が豊漁だった時に、採れすぎた分をこうした調理品にしてストックして食べる文化が根付いていたら、「身近な魚がいなくなった」というニュースを減らすことができたのかもしれません。
まあ、単純な解決策はないことでしょうが。


それでも、現在のグルメな魚の食べ方を続けていたら、本当に多くの魚が絶滅してしまうのではないかと心配になっています。




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