行間を読む 13 <病院で食べる食事>

最近は、カフェテリアがあって簡単な軽食まで食べられる病院ができる時代になりました。
私が看護婦として働き始めた1980年代には、考えもしなかったような変化です。


病院で食べる食事と言うのは、入院食だけでなく職員用の食事も含めて、なんとなく薄暗い中でひっそり食べるというイメージだった30年まえとはだいぶ様変わりしました。


ましてこちらの記事で紹介したように1949(昭和24)年頃の日本では「患者さんは布団やコンロを持ち込んで入院」し自炊をしていた時代から半世紀ほどしかたっていないわけです。


電化厨房ドットコムというサイトで、この病院給食の歴史が書かれていました。

「1-1-3 病院給食に関わる施策の推移」


1948年、医療法制定、栄養士法制定に続いて1950年に策定された完全給食制度を始まりとする。その後、病院食は量の確保から質の改善へと変化し、更に1987年の外部委託制度の設定、1992年の適時保温提供への特別加算、1994年のの食堂加算、選択メニュー加算の設定など、サービス向上につながる施策が次々と導入された。


病院食は「まずい」という固定観念が社会にはありますし、一部は事実でもあることでしょう。
ただ、日本の病院の歴史はたかだか150年であり、さらに入院中の食事が治療の一部であるという考え方が取り入れられてまだ半世紀ほどなのですね。


特に、医学知識や栄養の専門知識を必要とする治療食、たとえば高血圧の方への塩分制限食や糖尿病食のような特別治療食加算が1961年に設定されて、無料でこうした食事が治療の一部であるとして出されるようになったことは、当時の人たちには画期的なことではなかったかと思います。



<温かいものを温かいままで>


病院食がおいしくないと言われる理由のひとつとして、何百食と調理することで、せっかくの料理も患者さんの元へ運ばれるまでに時間がたってしまうことがあります。


冷めた汁物はおいしくないですし、まして減塩食の汁物は温かくなければもっとおいしくなくなります。


そういえば1980年代初めに働いていた病院では、配膳車に大きな鍋が載せられてきて、私たち看護婦が汁物をその都度よそって配膳していました。
電子レンジはまだ病棟にはなくて、ガスコンロがナースステーションにありました。
検査などで遅食にする方は、そのコンロで汁物を温めなおしていました。


今考えると、あの忙しさの中でよく患者さんのお椀ひとつひとつによそっていたと思います。
心の中では「私たちの仕事ではない!」と思いつつ、でも少しでも温かいものを食べていただければと考えていたのでしょう。
こうして思い返すと、1980年代の看護はまだまだ前近代的な部分がかなりありました。



さて、1980年代終り頃に病院で再び勤務した頃には、保温性が高い蓋付きの食器が導入されていて、厨房から配膳まで温かさを保つことができるようになりました。また、病棟に電子レンジがあることも当たり前になり、温めなおすことも容易になりました。
ただ、食器によっては電子レンジに入れると変形するものがあり、食器をダメにして厨房スタッフに平謝りのことも懐かしい記憶です。


上記の引用の中に、「1992年の適時適温提供への特別加算」があります。
1990年代半ば頃から、勤務先でも配膳車がハイテクになりました。
トレーの3分の1部分は保冷され、3分の2は保温される画期的なものが普及し、温かいだけでなく、牛乳やデザートなど冷たいものを冷たいままで配膳することが可能になりました。


当時は、単に配膳車の技術的革新としか考えていなかったのですが、こうした加算による制度の後押しがあったことを初めて知りました。


<場所を変えて食事をする>


病院の食事をおいしくないものにさせてしまう理由に、食事をする環境があります。


入院すると、ベッドと床頭台(しょうとうだい)と椅子という狭い範囲で生活の全てを行うことになります。
時には排泄もトイレではなく、そのベッド周辺で行わなければならない状況もあります。


食事どきでも、止められないこともあります。


1980年代の病院というのは大部屋が基本で、さらにベッドで食事をするしか選択がありませんでした。


1990年代に新築した病院には、各病棟に広い食堂が設置されていて、食事や面会などに利用されるようになりました。
移動できる患者さんは、できるだけ食堂で食事をしてもらう時代になりました。
明るく、風景のよい場所が選ばれることが多いので、環境を変えるだけでもおいしさが変わることでしょう。


その背景に、「1994年の食堂加算」があったことも今回初めて知りました。


<食べられるものを選択できる>


食事は治療の一部であることから、治療食があったり、患者さんの状況に合わせて粥食にするなどの選択はありましたが、本人の嗜好上の選択を配慮できるようになったのは1990年代に入ってからでした。


それまでも、牛乳はダメなのでヨーグルトでと言う変更ぐらいには対応していた記憶がありますが、もっと細やかに食べられない物は別の献立に変更するなど柔軟な対応をするようになりました。


これが1994年の選択メニュー加算でした。


<一部定額自己負担へ>


こうして病院給食が導入されて40年ほどの間に、食事をおいしく食べてもらうためにさまざまな点が改善されてきました。


ただ、1994(平成6)年には、それまで健康保険でカバーされていた入院中の食事の一部自己負担に、大きく制度が変更になりました。
「特定給食施設(病院)における人件費率、食材料費の実態」という論文に以下のように書かれています。

しかし、平成6年の入院時食事療養制度導入で、従来の必要栄養量確保に重点を置いた制度から傷病者に対する個別の栄養管理が求められるようになった。
この入院時食事療養制度では食費を医療費と区別し、一部が定額自己負担となり、給食経営の面で大きな転換期となった。

当時は、1日800円ほどが徴収されことへの反発や混乱がありました。


たとえば、退院の日や検査などで3食すべてを食べていない日にも同額であることはやはりおかしいことです。
あるいは患者さんが食欲がなくて配膳してもほとんど手をつけられなくても800円は取られてしまいます。が、「食べないのにお金の負担がかかってはいけないから止める」わけにもいきません。


特に高齢者にとって1日800円の負担は大きいものでした。
1ヶ月入院すれば2万円以上の食費がかかってしまいます。
「節約すれば夫婦二人が食べられるくらいの額なのに」などといった苦情はよく言われました。


2006(平成18)年に、一日の定額ではなく食べた回数分だけ負担するようになりました。


1994年当時、この方法が導入されるにあたって、「入院していてもいなくても、どこでも食事は食べるのだから食費の負担をするのは当然」という言い方がされました。
このあたり医療経済的なことが弱い私は、自分の中で確固たる考えを持てないまま来てしまっています。





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