先日、「大阪市市教:『問題行動の即罰則』検討 暴力急増背景に」(毎日新聞、2014年5月18日)という記事がありました。
何が「問題行動」なのか読んでいくと、ピアスもそのひとつのように書かれていました。
あら、すみません。わたしも30年来ピアスをしています。
私の場合は問題行動ではなく、「なぜ高校生ではダメなのか」と真正面から現役高校生に問われたらなんて答えるのだろう、と考えてしまいました。
いっしょに罰則の草むしりでもして、考えましょうか。
<ピアスをあけたきっかけ>
私がピアスをあけたのは、東南アジアの難民キャンプで働いていた時でした。
周囲の現地スタッフの女性でピアスを開けていない女性がいないどころか、生まれて半年もしないうちに、女児にはピアスの穴が開けられます。
「大きくなってからでは痛みへの恐怖が強いから、赤ちゃんのうちにあけてしまう」とのことで、現地の乳児の耳には太い糸が通されて、その両端に結び目を作り、皮膚の穴が完全にできるまではそのままにしておくのでした。
2〜3才になると、金属性でキラリと宝石が光るピアスが耳に輝いています。
現地の女性だけではなく、インドシナ難民と呼ばれたベトナム、カンボジア、ラオスの女性たちも必ずピアスをしていました。しかも生後すぐに穴を開けるのも同じでした。
また、アメリカなど海外の支援団体の女性も皆、あたりまえのように耳たぶにピアスをしていました。
ピアスをしていない女性は目立つらしく、「なぜ開けないのか」しょっちゅう尋ねられたのでした。
そして同僚だったアメリカ人が友人になった記念に穴を開けてくれるというので、とうとう開けたのでした。
18金の金属の台に小さなダイヤがついたものでした。
その金属の先端部分をナイフで削り尖らせます。
氷でしばらく耳たぶを冷やして、感覚がなくなったところで一気にブスッとさして終わりでした。
その日以来、私の耳にピアスが無い日は数えるほどでしかないほど体の一部となっています。
日本では医療行為として無資格者が施術することが禁止されていることも、ところ変われば家庭内で行われることであり、しないことが異端にさえ見られる世界があるのでした。
<もっと違う世界もある>
私が住んでいた東南アジアの某国もまたインドシナ3国やタイなどにも、何十何百という少数民族がいます。
難民キャンプにも少数民族の難民の人たちがいました。
みな、民族衣装と装飾品を大事に持っていました。
1980年代当時は、まだまだ少なかった東南アジアの国々の文化や風習に関する本をあれこれ探して読みました。
北タイの山岳少数民族などの写真を見たのもその頃でした。
耳たぶにピアスの穴どころではない大きさの穴をあける人たちがいました。
カメラのフィルムケースは貴重品で、観光客から譲り受けて耳たぶの穴を拡張するのに使われていたというような話も読みました。
穴が大きければ大きいほど、美しさの基準であると。
首に金属の輪をはめて首を長くするとか、耳たぶの穴を大きくするといった社会に生まれなくてよかったとほっとしました。
でもそこに生まれた女性にすれば絶対的な意味を持ち、そうしなければその社会では認められないのです。
ピアスをしてはならないものという規則が絶対の社会でもなく、開けることが絶対の社会でもなく、自分の意思で自分がしたいからするという中間の社会がよいと今も思っています。
草むしりをさせられた高校生が、その規則を正しいとする大人の狭い視点の向こうをみつめられるといいですけれどね。
「世界はひろいな」まとめはこちら。