助産師の世界と妄想 1 <自分の経験に対する思い込み>

最初に「助産師の世界」という言葉を使って記事を書いのはこちらでした。以降、気づいたら、「助産師の世界」のタグのついた記事がいっぱいになっていました。
(右欄の「カテゴリー」の「助産師の世界」をクリックすれば記事一覧が出ます)


1990年代後半頃からでしょうか、雑誌やテレビなどで「助産師」が好意的に紹介される機会が多くなったのは。


当時はまだ私自身が自然なお産に傾いていた時期、つまり経験が少なくて根拠のない自信に満ちていた時期でしたので、助産師が紹介されることに少し誇らしさを感じつつ、でもなにか気恥ずかしというか違和感がありました。


最近は、助産師がメデイアで紹介されたものを目にすると、「それは私の『助産師』とは違う助産師という言葉では伝わらない別世界があるのだ」となんとも居心地の悪さを感じています。


そんな中、先日も「あーーこれは私の考える助産師とは違う」ということがありました。少子化危機突破タスクフォースにある助産師が呼ばれてスピーチをしたという話題です。
(「駒崎弘樹氏による第6回内閣府少子化危機突破タスクフォース実況」を検索すればtogetherで読めます)


内容に関してはあちゃーな話だと思うのですが、でもそういう話を求めている側もいるから呼ばれるのかもしれません。


今日はその内容についてではなく、なぜ「こういう助産師」が政治やメデイアの世界では重用される傾向にあるのかという点です。


<「こういう助産師」とは>


ここ数年来、助産所のホームページを定点観測しています。
やはり、気になるのがその助産師が、病院または診療所でどれくらいの臨床経験年数があるのかということです。


新人の頃の仕事の覚え方というのは、ある程度もとからその人がもつセンスや能力のようなものが大きく影響するのかもしれません。
ただし、看護職のその後の能力というのは「ベナーの看護師の5段階」にあるように、長い年月をかけて地道に形成されていくものです。


こればかりはどんなに知識を詰め込んでも、あるいはどんなにその仕事に対する嗅覚のようなセンスがあったとしても、時間をかけずに得られることはない。


そこを理解できずに自己評価を高くしている助産師には「こういう助産師」と感じてしまうのです。


さて話題になった助産師のHPのプロフィールを見ました。
助産師学校卒業までは「何歳」での表記ですが、それ以降は「1998年」といった西暦表記になっていて、ぱっと見ただけでは臨床経験がどれくらいあるのかはよくわかりません。
他のサイトで年齢がわかりましたので、逆算してみると医療機関での経験は1〜2年ということになります。その後、10人のお子さんを出産、育児をされながら助産院を開業して授乳指導などを行っているようです。


この個人への批判ではなく、私たち助産師という資格には現在、「こういう助産師」というもうひとつの世界ができてしまっていることが、思い込みと妄想の代替療法をお母さんたちへ勧める結果を生み出しているのではないかと思えるのです。


それは助産師という国家資格を持ったあとに、その知識と技術をどのようにその時代の医療の水準に合わせていくかというシステムの問題でもあります。


「思い込みと妄想」の記事はまだ続きますが、なぜ助産師が助産所だけでなく病院や診療所でも、あるいは保健センターの新生児訪問でも思い込みや妄想を押し付けることになっているのか、しばらく考えてみようと思います。




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