助産師の世界と妄想 2  <看護協会の助産師クリニカルラダー> 2015年6月27日追記あり

ラダーというのは梯子(はしご)という意味ですが、看護では資格取得後の到達目標を段階的にとらえていける目安としての「クルニカルラダー」という言葉が使われ始めたのは1990年代半ばごろだったような記憶があります。


昨年、助産師のクリニカルラダーが日本看護協会から出されました。

「助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー)活用ガイド」(PDF注意)
2013年7月


それまで「この経験年数ならこれくらいの業務を遂行できる能力があるだろう」と感覚的にしかとらえられなかったものが、おおよその目安として文章化されたものができました。


<卒後3年目までは基礎作り>


上記のクリニカルラダーのp.12に助産師のキャリアパスという表があります。


資格取得後、現在のほとんどの助産師がまずは卒後研修のしっかりした総合病院を就職先に選択していますから、このキャリアパスはあくまでも「総合病院で経験できる」ことを前提にしたものと理解してます。


分娩件数も多く、異常症例もあるような施設においても、卒後3年ほどは「基本的実践能力獲得期」です。
実際には、3年目ぐらいになるとかなり判断能力も出て自信がついてくるころと思います。
私もそうでしたが「十分に一人で働ける」と思っていました。
今思い返すと、あくまでも基本的な実践能力がついただけであったとわかります。


キャリアパスの速度が落ちる時期>


分娩介助だけでなく、外来での保健指導や小児科入院になるような新生児のケアなど、さらに幅広い実践経験をつむのが、4〜6年目以降の「キャリアローテーション」の時期です。


ところが、このあたりで結婚や妊娠・出産で臨床から離れたり、仕事を継続したとしても産休や育児休暇、あるいはパートタイム的な業務への変更など、どうしても描いていたキャリアパスの速度を落とす必要が出てきます。


看護協会の「助産師のキャリアパス」(p.12)では、卒後10年あたりで「第3子出産」となっていますが、これは無理があると思います。


よほど本人に体力があってさらに子供の世話をしてくれる家族のサポートがあったとしても、ようやく基礎実践能力ができたあとに2〜3年ごとに出産をしていると、「10年目」といっても実際には「数年目」程度の経験量ぐらいにしかなりません。


同僚の助産師をみても、子育ての一段落した40代から50代くらいになってもう一度本格的に病院や診療所で働き始めています。


十数年のブランクは、特に最初は周産期医療の変化についていくだけでも大変ですし、年齢的に記憶力が落ちますからなかなか大変です。


けれども、まさに「心機一転」新人レベルから学び直すことができる人は、キャリアパスに追いつくだけでなく、それまでの人生経験も生かした看護ができるように思えます。


<「自分らしさ」よりは「社会に必要な働き手になる」>


さて、冒頭の看護協会のクリニカルラダー「活用ガイド」ですが、「自分のキャリアデザインをしてみよう」(p.11)に「自分らしさを反映させる」という言葉が使われています。


この「自分らしさ」については、「個々の助産師がどのような助産師になりたいのか、どのような働き方をしたいのか、の違い」が「その人らしさであり、日本の助産師のキャリアの奥行きと深さにつながるのである」としています。


でも私には、「こんな助産師になりたい」の方向性が間違っていることを誰も指摘しないので、こちらの記事に書いたように、なまじ開業権があるために、自己流の母乳相談や百花繚乱の代替療法が広がってしまったのではないかと思えるのです。


「活用ガイド」の「自分らしさを反映させる」には以下のようにも書かれています。

個々の助産師が自己のキャリアニーズを充足させながら成長していくことにより、社会が求める役割を果たすことが、本来の助産師としてのあるべき姿であり、これからの周産期医療を支える人材育成のあり方である。

これはまことにそのとおりと思います。


そのためにも、「助産師の自分らしさ」を追求したために社会的問題をおこしていることに気づかない助産師にブレーキをかけることがまずは大事だと思います。


まあ、この活用ガイドのアドレスに「innaijosan(院内助産)」が使われているところからして、客観的なガイドのようであってもそこには「産科医から独立した助産師を目指す」信念が織り込まれているのかもしれません。


<2015年6月27日追記>


久しぶりに上記のサイトを開いたら、アドレスが「innaijosan(院内助産)」だったものが「josan(助産)」に変更されていました。




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