助産師の世界と妄想 14 <何言ってるんだろう?>

今朝も朝早くから目が覚めたので昨日のうさぎ林檎さんのtwitterを読んでいたら、「書け」と指令が来たような気がしました。


「大学ジャーナル」というサイトの「自分を太くしよう!しんどい場面から逃げない、自立した看護師を育てたい」という記事です。

医療行為の行えない助産師にとって、もっとも大事なことは、女性が妊娠期から心身ともに産む力を育み、最終的に「私は産める」、そして「産めた」という自信が得られるように、女性に寄り添った支援をすることです。
助産師には、女性と生まれてくる胎児を<信頼する><見守る>態度が求められます。

この内容からすると自律した助産師の話かと思ったら、タイトルは「自した看護師」を育てる話のようです。

ところで<信頼する><見守る><待つ>ということは、かなり積極的な行為で、看護学教育に関わる側にも、また看護師を志す人にも書かせない姿勢、態度でもあります。

たしかにそれはいえると思います。


また、助産師として成長する間にも、分娩介助についても冒頭のようなアドバイスをされることで励まされる時期もあるとは思います。
まあそれは、助産師のクリニカルラダーで言えば、卒後数年ぐらい、あるいは分娩経験数200〜300件程度の時期ではないかと私は思います。


そのあたりを過ぎる頃から「こんなことも起こるのか」という異常が見えてくるので、「信頼する」「見守る」「産む力」のような言葉はお守りに過ぎないこと、異常にいつでも対応できるための知識と技術を自分で学ぶしかないことがわかることでしょう。

失敗すると誰でも「困った。どうしよう」ということになりますが、様々な体験をするうちに「自分で何とかしなければ」という気持ちも生まれてくるものです。そしてそこからは、実践することが面白くなってきますし、自分への信頼が育ってきます。

そうそう、そうしてまさに「しんどい場面から逃げない」「自立した助産師」が、病院や診療所で周産期医療を支えて来たのだと思います。


そして「二度とこんな事は起きないで欲しい」「なんとかしたい」と過去の失敗に学ぶ事で、医学や医療が変化してきたことを真に理解できたときに、周産期医療チームの中で自律した助産師として働けるのだと思います。


思い込みから妄想へ>


冒頭で紹介した文は2012年に書かれたもののようです。
「助産師教育ニュースレター」の中で、これは「やってはいけないインシデントレポートか」と思うような内容が、まるで自律した助産師であるかのように紹介されていた頃です。


少しは熱が冷めた頃かと思ったら、この筆者が主催している「正常出産研究会」の集会が11月にあるようです。
(うさぎ林檎さんの情報収集の熱意に脱帽)

女性にとってのお産 〜グローバルな視点から見えてくるもの〜
伝えよう、受け継ごう、「お産」の多様性と豊かさを!
あなたには力がある。私にも力がある。
お互いにエンパワーし合える関係。
そんなお産を経験したい。

「正常出産」があるという思い込みから、「力」という妄想になる。


もう、こういう話は「何言ってるのだろう」と軽く受け流せばよいかもしれません。




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