次に生まれ変わるとしたら、一生水の中で泳いでいるさかなになりたいですが、他の生物に食べられちゃうのは勘弁ですね。
生まれ変わるのに人間限定ならホルモンの影響で精神的に揺れの大きい女性とは違う男性を経験してみたいなと思いつつ、やはり女性でよかったかなとも思うこの頃です。
さて、小学生の頃ですが、当時の中国に纏足の方がいらっしゃることを何かの本で読み、衝撃を受けたのでした。
「小さい足の女性の方が美しいと考えられていた」「中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後」とあるように、私が小学生だった1970年代にはまだ纏足にさせられた女性が生きていたのでした。
日本でも当時はまだまだ男性の地位が強く、女性に教育はいらないという考えが根強かったり、男性の方が良いものを沢山食べて当然という雰囲気に、なぜ女性だからなのかという疑問は小学生ながらも感じていました。
でもそんな疑問が吹き飛ぶほどの衝撃を感じたのが纏足でした。
そして、私自身が女性に生まれたことと、将来女性として生きて行くことの暗い闇のような部分を見てしまったように、心に残ったのでした。
<「纏足をほどこした女たち」より>
wikipediaの纏足に以下の論文がリンクされていました。名古屋大学の方のようで、内容から2000年代半ば以降に書かれた物のようです。
「纏足をほどこした女たち」
フェミニズムや女性学あるいは、社会学など学問的なことは私自身は不勉強ですが、印象に残った部分がいくつかありました。
安定した生活を求めるために、またファッションとしても女性のほうから選択したという側面があった。(p.66)
てん足もまた、父権制社会に期待されるところの母性により維持されていた。(p.68)
筆者はそれを「女性の制限付きの主体性」と表現されています。
その後、纏足が禁止されて社会が変化して行く様子が書かれています。
母に娘に対する纏足を止めさせられるのは、娘の悲鳴ではなく、家長あるいはそれに類する立場の男性の意見である。纏足をしないことが主流となってもなお、多くの母親たちは一時的な流行ではないかとまよいながら纏足を娘に施し続けたが、夫の一声があれば止められた。(p.68)
母親としての理想に添えないという罪の意識が子どもへの暴力へ向かうのは、今日でも珍しいことではない。まして纏足という女の子への暴力は正当化されていた。母親は本来自分を無力にさせている社会が自分に与えた”母親業”という権限をふるい、代々娘の足で自分の仇を取って来たとは言えまいか。(同)
その夫の制止もまた、社会の動きに日和見的であることが書かれています。
「足をほどいた女は日に日に増えている。娘たちがしたくないと言うなら、ほどかせるがいい。他の娘たちが嫁にいけるなら、うちの娘たちも嫁げるだろう。
そして「結び」には以下のように書かれています。
纏足によって男好みの女となり、美しいと言われ、良家へ嫁ぐことになったとき、女は確かに幸せを感じただろう。しかし、極小の足を持つ女とは、中国社会が女に要請した男の理想である。そうである以上、纏足が女にもたらす幸せとは、実のところ”自分のではない欲望へ自分を売り渡すマゾヒスト的売春によって得たものである。その証拠に、纏足の時代の女は男に依存せずには生きられない状態におかれ続けた。
韓国の美容整形熱ともいえるようなブームを耳にするたびに、私には初めて纏足を知った時の深くて暗い穴に落ち込むような感覚が蘇るのは、この「制限付きの主体性」という言葉がぴったりくるのかもしれないと思いました。
そして十分な栄養を取らずにやせて体重が少ないことがよいかのような風潮や、まるで女性は皆冷え症であるかのよう思い込ませることに対して、女性は小さく非力であるほうが良いという無言の力を私は感じてしまうのです。
纏足の時代には「大きな足の女」になることを避けたものと根は同じではないかと。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。