1960年代初頭に生まれましたが、子どもの頃にはすでにチューリップは身近な春の花でした。
庭の片隅に植えられた球根から、毎年すくっと美しい花が咲いていました。
身近な花でもあり、そしてその姿は素朴で植物の持つ特性を変えずに描きやすいので、子どものお絵かきの定番の花とも言えるでしょうか。
チューリップといえばオランダでしたが、いつ頃か富山に広がるチューリップ畑の映像を見かけるようになりました。
今回は残念ながらチューリップの季節ではなかったのですが、砺波平野を訪ねて初めてここだったとつながったのでした。
*富山のチューリップ栽培の歴史*
検索すると富山県花卉球根農業共同組合のホームページがありました。
大正7年にこの富山でチューリップ栽培が始まり100年余。
先人たちの礎のもと、今では日本有数のチューリップ球根産地となりました。
「沿革」にその歴史が書かれています。
1918(大正7年)
砺波矢木(当時は東砺波郡庄下村矢木)の水野豊造さんがチューリップ球根を買い入れ、栽培を始める。
1923(大正12年)
水田裏作としてのチューリップ球根生産を主体とした農業に本格的に取り組む。
1938(昭和13年)
富山県輸出球根組合出荷連合会を設立。
アメリカへチューリップ3万球を輸出する。
1946(昭和21年)
1948(昭和23年)
戦後初のチューリップ球根として10万球輸出。
私が生まれる40年ほど前にチューリップが広がり、戦争の後福山のばらのように人々の心を癒しながら身近な花の一つになっていったのでしょうか。
はるばるオランダからこの砺波地方に伝わったもう一つの理由は、ヨハネス・デ・レーケやローウェンホルスト・ムルデルのように明治時代初期に日本の土木技術のために招聘された技術者たちとの交流もあるかもしれないと思ったのですが、どうなのでしょうか。
水田地帯を訪ね歩くと、どこでも美しく色とりどりの花が咲いています。
ダリアが好きで植えていた祖父のように、稲作と花というのは深いつながりがあるのかもしれませんね。