朝日デジタルの10月31日の記事に、「出産体験などを語り、命の大切さへの思いを分かち合う『バースカフェ』」の話題がありました。
「母と子が『命をかけてチャレンジした』出産について体験を話す」らしく、11月は「医師の手を借りずに5人の子どもを自宅出産」した人が講師だそうです。
「カフェ」はきっと「サイエンスカフェ」をもじったのではないかと思いますが、以て非なる感が私には半端ないのですが。
「医師のいないところで産んで大丈夫」と思ったのに、大変な事が起きる可能性を思って不安にならないのだろうか。
あるいはそれを人に勧めて、その人が自宅で死亡したり残された家族が「二度と同じ悲劇を繰り返さないで」と苦しみ続ける可能性に不安にならないのだろうか。
琴子ちゃんのお母さんがこういう話題になると、「武勇伝」と表現していましたが、本当にそうだと思います。
ただ、今回はこの記事に書かれていることへの批判というより、先日来の西アフリカで医療救援活動に参加していたスタッフの話題から、自分の「根拠のない自信」で行動していた頃を思い出したのでした。
<「自分はなんだか大丈夫」>
東南アジアに3年ほど暮らして、そのうち1年間は山奥の少数民族の村を行き来していました。
一度40度近い発熱があって「すわマラリアか」と覚悟を決めたのですが結局なんでもなかったことを除けば、お腹を壊す事もなく、熱帯地方の疾患にかからずにすみました。
飲み水には気をつけていましたが、どこでも沐浴をしていたわけで、もしかしたら住血吸虫症にかからなかったのは幸運に過ぎなかったのかもしれないとヒヤリとしています。
帰国してからもまとまった休みができると、その国の少数民族の人たちの村に泊まりに行っていました。
休暇から戻ったら1日だけは旅行のあと片付けで休み、翌々日からは通常勤務に戻るという、今考えれば無謀なことをしていました。
ある年のこと、今まで訪れた事がない村に行きました。
他の地域と同じように、竹でできた家の床に布を体に巻いて眠ったのですが、ボチボチと虫に刺されました。
かなり痒くて、おそらくダニの一種だろうと現地で買ったかゆみ止めで対応していましたが、おさまるどころか、帰国する頃になってその村から離れたのにだんだんと発疹が広がって行きました。
休暇明けには病棟で新生児や妊産婦さん、そして化学療法中の抵抗力の落ちた患者さんにも接するわけなので、すぐに勤務先の病院で診察を受けましたが、皮膚科の先生も首をかしげていました。
とりあえずステロイド軟膏を処方されて、幸いなことにすぐに発疹の広がりもなくなりました。
あれはなんだったのだろうと思うとともに、熱帯地域ではよくわからない疾患もたくさんあるわけで、知らないからこそ私も「なんだか自分は大丈夫」と思ってあちこちの村に出かけていたのだと思います。
<今年のデング熱の話題>
デング熱なら熱帯医学の知識としては基本ですし、友人が感染して重篤な肝障害を起こした話も聞いていたので、1980年代に東南アジアやアフリカに行くときも知識としてはありました。
ところが今年日本でデング熱が話題になり、恥ずかしながら初めて知ったのが、現地で感染するだけでなく日本でも渡航していない人にも発生することでした。
しかも終戦後に復員してきた人たちによって、同じような感染が起きていたことも初めて知りました。
もしかしたら、私もいろいろな感染症を日本に持ち込んだ可能性があったのだとヒヤリとしています。
何だか自分は大丈夫と思って行動していたし、たまたま運がよくて重篤な感染症にかからなかったのですが、それは根拠のない自信に過ぎず、私の武勇伝なのだと。
そして自分だけで済めばよいのですが、その武勇伝が多くの人を巻き込むことになるところに怖さがあると思うこのごろです。