入場前の体温測定や個人情報を記載したカードの提出などまだ非日常的な対応ですが、意識や記憶が飛ぶこともなく元の泳ぐペースに戻ってきました。
現在は2ヶ所のプールを利用していますが、どちらもいろいろと対策を考えてくださってありがたいことです。
「プールや更衣室での会話は控えてください」と書かれています。
ところが、あのプールの井戸端が戻ってきてしまいました。
プールでは当然マスクをしていませんし、更衣室でもマスクなしでそのまましゃべり続けている人がけっこういます。しかも大きな口をあけ、大きな声です。
私には唾液が飛散している様子が目に浮かんでしまうので、マスクをするまではおしゃべりをしないでと心の中でお願いしています。
電車や近所の街ゆく人を見ると、今でもほぼ100%マスクを着用しているというのに、一旦マスクを外した時のこのつじつまの合わない行動はどうしてなのだろうと不思議です。
ソーシャルディスタンスや3密はとてもわかりやすくて有効なメッセージだったと思うとともに、わかりやすさに落とし穴があるのでしょうか。
「あなたの唾液は、ここまで飛びます」「人に近づいて喋らないでね。唾を飛ばさないでね」という、自分を否定されるかのようなメッセージを理解したくない人がいるのかもしれませんね。「自分が感染源になるわけがない」という思いでしょうか。
あ、だからシュールと感じる防御策がこれでもかと工夫されるのですね。
「自分が感染源にならないように」と考えたら、マスクをしていない状況では会話を控えるしか思い浮かばないですからね。
屋内や電車に乗るとき、会話をする時にはマスクを使用する。
人に唾液を飛ばさないように十分注意する。
マスクをしていない場合には距離をあけ、接する時間を短くする。
そして十分に手を洗う。
簡単なようで伝わっていないような場面をみると、感染症の対応は「自分がかからない」と同時に「自分が人にうつさない」の両方を常に考えられるかどうかの難しさなのかもしれません。
あの先日の話題のマスクの行列、しかも間隔もないほどぎっしり並んだ様子が好意的に報道され、かたやソーシャルディスタンスをとってパチンコ店に並んでいるのは散々なニュースにされた、つじつまの合わなさの理由も見えてきました。
みんな、自分が感染源になるとは思っていない。
そのあたりが、こうした感染拡大時のつじつまの合わない行動の原因かもしれませんね。
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