記録のあれこれ 134 一年前の少し憂い気味のメモ

2ヶ月半遅れでしたが、昨年11月のただひたすら奈良から和歌山、そして大阪南部の川やため池をみる散歩の記録をブログに残すことが終わりました。

そのタイミングで散歩の膨大なメモ類を整理するのですが、なぜか消去し忘れていた1年前のメモがiPhoneに残っていました。

 

先進諸国中、最も低かった新生児死亡率

先進国入りを目指していた時期からたかだか30〜40年

必死に「先進国入り」していたそのスピードが、医療従事者の「健康的な生活を享受する権利」を犠牲にしてきた。

 

1980年代の「背伸びをして先進国の仲間入り」をした雰囲気の時代から「先進国とは何か」という葛藤や疑問の方が出てしまうのですが、思いついたことをスマホにメモするときには言葉の細かいニュアンスを気にしていると書き残せないので「先進国」という表現をしています。

 

なんで2022年1月初旬にこんなことをメモしたかというと、こんな気持ちからでした。

政権が変わったら感染症対策が見えにくくなった

もちろん未曾有の感染症で正解の見えない長期間の対応が必要なことは覚悟していたものの、まさかここまでこの感染症に対する理解が政府に足りないと1年後に絶望感を感じることになるとは思ってもいませんでした。

 

もう一つメモしていました。

失敗を繰り返し、克服しながらも豊な生活へと向かっている

時々、その利益を自分のものにしようとしたり、そこで階層を登らせないようにしようとする考えが出てくる

それでも、一世紀前のような階層を超える手段がない時代に比べれば、人はその不平等に黙らなくなった

なんでこんなちょっと青臭いことをメモしたのかと思い返しているのですが、未曾有の感染症対策の足りないとことはいろいろあっても未曾有の事態でもこの国の医療はぶれない こと、東南アジアなどで痛感した社会階層を意識しなければいけない社会ではないこと、経済的に豊かになっていく中でさまざまな問題や失敗も環境を守り経済成長も、自然を守り人工的な技術もという方向へと進んできたこの国への信頼があるから、できるだけ個人的な不平や不満で心を曇らせないようにしようと戒めていたのでした。

 

 

*忘備録の内容が変化した*

 

その一年後、こんなメモに変わりました。

国民の支持も低いし議論もされていないのにぬめぬめと物事が決まるのはこのためだったのか

日米首脳会議

表舞台に立ちたい人たち

自由とか民主という看板を下ろしたらいいのに

全てがのれんに腕押し

反応がない、すり抜ける

1世紀後にはこういう政治家がいた野蛮な時代とそれを民意とした社会が呪われ、笑われますように

 

ちょっと過激ですけれどあくまで忘備録であって、そのメモを集めていろいろと考え直していく作業が大事ですからね。

 

ただなんだか搾り取られる方法が次々と議論もないまま「政治家の指示」で進められたり、仲間をきちんと処分できないどころかますます強権的に物事を進めている日本の政治家だけでなく、隣の国を侵略しても正義を語ったり、人民が感染症や飢えでバタバタと倒れても勝利宣言するとか、世界中で「21世紀の政治家」ってシュールだなというような気がするので、こうした時代の背景はなんだろうと考えています。

 

驚異的に変化した時代からくるさまざまな反動でしょうか。

 

 

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