落ち着いた街 34 なぜデモが合わないのか

時々、他の国の激しいデモやストの様子がニュースになると、「なぜ日本ではデモをしないのか」「社会に迷惑をかけてはいけないと思っているのか」といった反応がありますね。今に始まったことでなく、私が若者だった1970年代とか80年代もすでにありました。

 

平和ボケだとか社会に無関心とか、あるいはその少し前の学生運動への反動的な気持ちとか、そう言われればそうかもしれないと思いつつ、私自身はデモやストに参加したくないし、あまりそういう手法は効果的ではないように思うのはなぜだろうと行きつもどりつ考えています。

 

同じ目標に向かって社会を変えているつもりでも末端の意見の違いは反映されにくい方法なのではないか、運動を率いる人は往々にして人を引き付けたり言葉に長けているのでそんなことは求めていなかったのにという「正しさ」だけが世の中に残りやすいのではないか。

 

あの当時、画期的と感じた革命でさえ、数年もすると元に戻ったかのようになってしまったのはなぜなのか。

 

ましてや街の中で大きな声で何かを主張して煽動したり、暴れたり火をつけて死傷者が出たり、ゴミが散乱したり交通機関がストップしたり受診もできないといった日常生活を破壊するような手段では問題は解決しないのではないか。

 

いろいろな考えはあると思いますが、私自身は静かなデモだとしても街の中を歩くことはしないと選択してきました。

 

 

*災害から日常的に合理的な判断を訓練する*

 

あちこちを散歩すると、昨日の記事のようにそれぞれの地域にどうやって水を得てきたかとか、どんな災害があり被害はどうだったのかという記録が伝えられていることに感慨深いものがあります。

 

江戸時代からの私財を投げ打ち人柱を立てて社会基盤を作ろうとした時代から、ほんの少し前まで水争いや一揆や争議があった場所がそこかしこにあります。

 

そして本当に災害が多い国ですね。

それまで何代にもわたって築いてきた念願の堤防や田畑が一瞬にして失われ、道路や鉄道が寸断され、断水や停電に耐えながら、また長い時間をかけてその産業を戻していく。

少し落ち着いた時期が続くと、50年に一度、100年に一度と忘れた頃に大きな災害や感染症が起こり、またその記憶や記録が残り社会を変えてきたのではないかと思えるようになりました。

 

そういう困難の時に、過酷な労働から農民を解放しようとか世の為、人の為と普遍的な動きがどこからか生まれ出ては社会を静かに変えてきたのではないかと。

 

そのあたりまで思いついたのですが、まだまだなぜこの国にデモが合わないと私が思うのかよくわからないままです。

 

どの地域でも一年中災害が多い日本ならではの社会の変え方があるような気がしています。

長い時間と多くの人の努力で築き上げてきたものを、大きな声であるいは暴力的に壊すことではない、この国ならではの方法が。

あちこちの街を歩いた時に、落ち着いた街だと感じる理由がそのあたりかもしれないと思うようになってきました。

 

 

 

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