反動から中庸へ 3 <建前と本音ではなく中庸の授乳法を>

規則授乳と自律授乳という授乳方法が、明治以降、どのように変化しながら世の中に広がって来たのかを前回の記事で紹介しました。


時間ごとに授乳する規則授乳は明治初期から広まり、「昭和20年頃までにきわめて常識的な授乳方法になった」にもかかわらず、世のお母さん達は「建前」として受け止めていたのではないかということは興味深いです。


そして昭和20年代から30年代にかけて、「規則授乳群」と「自律哺乳群」にわけた観察研究によって、東大の小児科教授が「特に規則授乳をしなければならないという根拠はない」という発表をしてのですが、そもそも世の中のお母さん達が厳格な規則授乳をしているわけではないという「実態」(本音あるいは事実)があるからだったのかもしれません。

当時の実態としては、母親は規則授乳を建前として意識しながらも、泣けば与える情に流される式の授乳が少なくなかったのでしょう。厳格な規則授乳は必ずしも多くなかったのでしょう。
 「母乳が足りなくても安心」(二木武氏、ハート出版、1997年)p.66


「情に流される式」を批判しているわけではなく、以下のように書かれています。

日本は規則授乳という建前と、子どもの要求に合わせても飲ませるという本音を使い分けて、規則授乳と不規則授乳*との中間が行われていたと考えられます。そして託摩教授は、その実態から方法的に間違っていないとして是認され、この授乳方法を「不規則授乳」法として提唱されたわけです。(同 p.66)
(*は文脈から「自律哺乳」かと思いますが、原文のまま)

この「規則授乳」という言葉は、当時のお母さんたちだけでなく産科スタッフも悩ませる言葉でした。
いえ、現在もまだ悩ませている言葉だと思います。


ちなみに全国のどのくらいの分娩施設がいまだに3時間ごとの規則授乳をしているのだろうと気になっているのですが、資料はなかなかみつかりません。
岐阜県立看護大学の「県内産科施設の母乳育児の実態と課題」の中に、岐阜県内では2006年で「入院中の規則授乳間隔は3時間おきの規則授乳が12件(40%)」とありましたから、まだけっこう規則授乳をしている施設があるようです。。
まあ、分娩施設のスタッフ側もまた建前と本音というところがあるでしょうから、実際になにがなんでも3時間ごとというわけではないのかもしれません。


さて入院中は3時間ごとを厳格に守る事は可能ですが、家に帰ったら泣く赤ちゃんをほって置くことはできません。
また日々成長・変化している赤ちゃんたちは、一日の中での眠り方にも変化がありますし、時には長く眠ることもあります。
赤ちゃんも元気で大丈夫と思っていても、なんとなく「起こしてでも飲まさなければいけないか」と不安になります。


でも結局はこれを「建前」として聞き流して、お母さん達はうまく育ててきたのでしょう。


「不規則授乳」
つまりお母さん達が、その時々の赤ちゃんの状況に合わせて授乳時間をうまく変えているということかと思います。


でもそれは規則授乳を正しいと信じている「育児指導者を苛立せる」(同書、p.66)ことになり、実際のお母さんと赤ちゃんの生活よりは方法論のほうが優先されてしまいやすいということでもあるのかもしれません。


<実態を知らない専門家>


昭和20年代の「規則授乳をすすめる根拠はない」という実際の子育ての状況(事実)をもし医療側が認めていたら、1960年代以降の分娩施設はもしかしたら最初から母子同室で自律授乳が基本になっていたのかもしれません。
まあ、歴史にもしはないのですが。


なにがそれを妨げたのかといえば、規則授乳がよいと信じていた小児科医や産科医、あるいは助産婦や保健師などの育児指導者の信念だったのでしょう。



そして「規則正しい時間ごとの授乳」を建前として聞き流したように、母乳が足りない(児の体重が増えない)ときの対応も粉ミルクを購入できる人は粉ミルクで、金銭的な余裕がない人はそれ以外の補充食をそれぞれの状況に合わせて与えていたのではないかと思います。


こちらの記事でダナ・ラファエル氏が欧米の乳児栄養専門家が途上国の女性達の「子どもの生存を確保する能力のすばらしさについてはほとんど認識を欠いていた」と指摘しているように、どの国でも「専門家」というのは案外実態を知らずに理論や方法論を作り上げてしまいやすいのかもしれません。


その時代の「専門家」がよいと信じて広められた方法論に反論するすべもないお母さん達は、建前として受け止めている。
そして時代が変わるとまた新たな考え方が広がり、それをうまく建前としてやり過ごすことを繰り返して来たのかもしれません。
反動から反動へと「専門家」が変化することに翻弄されながら。


<現代のお母さん達の建前と本音>


お母さん達に話しを聞くと、まだ入院中に厳格な3時間ごとの授乳を実施している施設もあるようですが、90年代以降、だいぶこの規則授乳が見直されて「欲しがるときに欲しいだけ」という方法へと変化してきたことはよかったと思います。


でも、前回の記事で紹介したように「泣きは必ずしも乳の要求とは限らないのに、泣けば与える式」の「行き過ぎも多い」という方向へ振り子は揺れてしまったように思います。
これまで何度か書いてきたように、「育児は母乳(授乳)から始まる」かのような指導方法によって。


ただただ授乳に明け暮れるような入院生活、赤ちゃんと片時も離れないことが良いこと、哺乳瓶やミルクを使わないで母乳だけで育てることが良いことかのように。


「疲れたでしょう?朝まで預かるから眠っていいですよ」「ミルクを持ってきましょうか?」と声をかけると、お母さん達がホッとする表情を見逃してはいけないと思います。


「母乳が大事」「泣いたらすぐにおっぱいを吸わせる」ことが時代のトレンドとして建前上は受け入れるけれど、自宅に帰れば必要に応じてミルクを使ったり、家族に赤ちゃんをみてもらって休憩をとることことでしょう。


そのあたりのお母さん達の本音に、反動から反動ではない「中庸」の答えがあるのではないかと思います。


そしてそこに本質的に大事なものがあるのではないかと。


授乳方法に限らず、どのように考え方が変化してきたか1世紀ぐらいの変化を知らなければ、私たち「専門家」はただ反動を繰り返させることになってしまうのかもしれません。





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