記憶についてのあれこれ 57 <乳幼児突然死症候群>

前回の記事で私が生後2〜3日目の赤ちゃんの死亡に遭遇したのは、1980年代終わりの頃でした。


当時はまだ、臨床では乳幼児突然死症候群という言葉はありませんでした。
今思えば、乳児死亡率も下がって「健康な赤ちゃんが亡くなる」ことは身近には感じられない時代に入っていました。
赤ちゃんが突然亡くなるというのは、それこそ「神隠しにあった」というニュアンスの方がぴったりくるぐらい稀なことと、医療従事者であってもピンときていなかったのかもしれません。


1980年代終わり頃にはむしろ積極的に、新生児を含めて乳児のうつぶせ寝が広がっていました。
「そのほうが赤ちゃんがよく寝てくれる」
「うつぶせ寝にすると頭の後ろが平に変形しない」
「うつ伏せ寝にすると、顔立ちが欧米人のように立体的になる」
そのような理由だったと思います。


たしかに、あの生後数日までの新生児でも激しい啼き方が少なくなり、眠ってくれるように見える事があります。
また、保育器に入っている新生児は啼いても抱っこすることができませんから、うつぶせ寝にすることで落ち着くこともあり、病院でも取り入れられていったのだと思います。


ただ、やはりなんとなく危険ではないかという見方も当時あったのではないかと思います、あくまでも記憶なのですが。
特に首がすわっていない赤ちゃんは啼きながら顔をマットに押し付けて、そのまま静かになってしまいます。
「窒息するのでは」という不安は常にありました。


いつ頃かだったかはっきり覚えていないのですが、Wikipedia乳幼児突然死症候群の「危険因子と予防」に「アメリカ小児科学会は1992年に、SIDSの発生率は、乳児を仰向けに寝かせることで有意に減少させられるという声明を発表した」とあるように、1990年代初めには周産期関係者向けにも乳幼児突然死症候群に対する認識がひろがり、乳児をうつぶせ寝にさせるのは危険ということが少しずつ浸透していったと記憶しています。


<うつぶせ寝と乳幼児突然死症候群



「うつぶせ寝で亡くなる」と聞くと「窒息」がまず頭に浮かぶのではないかと思いますが、乳幼児突然死症候群では「マットに顔を押し付けて窒息」ではなく「気道の捻れ」ではないかと考えられているようです。


「周産期相談318 お母さんへの回答マニュアル」(『周産期医学』編集委員会編、東京医学社、2009年)の「301 うつぶせ寝が好きですが?」には以下のように説明されています。

健康乳児における生理学的検討からはうつぶせ寝では、あおむけ寝と比較すると、生理的に起こる極短時間の閉塞性無呼吸の頻度が増加、これらの閉塞性無呼吸に対する覚醒反応の頻度が低下、覚醒反応が起こるまでの時間が延長、聴覚刺激に対する覚醒反応が減少する、などが報告されている。

また解剖学的にはうつぶせ寝ではあおむけ寝に比較して喉頭容積が増大し、さらに喉頭の捻れが生じることが報告されている。この捻れ減少により偶然にも気道狭窄が発生した場合、高二酸化炭素血症、低酸素症をもたらす可能性が示唆されている。


「実際の回答モデル」では以下のように書かれています。

 うつぶせ寝には、よく眠る、ミルクをもどしにくい、運動発達がやや早くなる、早期産児や病的乳児では呼吸・循環に良い作用がある、などの利点があります。
 しかし、近年、乳幼児突然死症候群SIDS)との関連から乳児期早期までのうつぶせ寝は避けた方がよいことが示されています。SIDSの原因は未だ解明されていませんが、統計的にうつぶせ寝で発症が多かったことが報告されました。SIDSを発症した赤ちゃんたちのデーターからはこのような赤ちゃんでは睡眠中の覚醒反応の頻度が低下していた事が報告されています。つまり、睡眠中の何らかの刺激に対して覚醒反応が起こりにくいという素因をもっている可能性が考えられました。しかし原段階では素因の有無を判断する方法がありません。一方、健康な赤ちゃんではうつぶせに寝かせた場合と比較して覚醒反応が減少しやすいことが示されています。SIDSの発症には覚醒反応が起こりにくいなどの素因に加えて、うつ伏せねなどの覚醒反応が減少しやすい環境が関連しているのではないかと考えられています
 したがって、赤ちゃんが起きている時に周囲の観察の下にうつぶせにして、うつぶせの利点を利用するのはよいと思われますが、新生児期・乳児期早期の睡眠中の寝かせ方としてはうつぶせ寝は適していません。


私が勤務していた病院での記憶では、1990年代半ばになるとすでに新生児のうつぶせ寝は基本禁止、呼吸障害や黄疸などで保育器に収用した新生児に限っては医師の指示があればうつぶせ寝にするようになっていました。その場合にも、かならず無呼吸センサーマットを使用していました。


それでも時々、「こうするとよく眠るから」と新生児をうつぶせ寝にするスタッフは後を絶たず、ヒヤヒヤしています。


あの1990年代に乳幼児突然死症候群という概念が初めて広がった時の、「こんなこともあるのか」という恐怖感を共有していない医療従事者あるいは保育関係者はなくならないわけで、この危険性を言い続けなければならないと思います。


そして、「赤ちゃんをよく眠らせたい」「静かになってもらいたい」という大人の希望と、新生児や乳児のリスクはいたちごっこではないかと思えるのです。






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