境界線のあれこれ 18  <新生児の「言葉」をどこまで理解できているか>

「過飲症候群」について考える前に、新生児や乳児はどれだけ理解されているのだろうということを少し考えてみようと思います。


私が初めて新生児に接したのは、今から三十数年前の看護学生の時でした。


哺乳瓶でミルクをあげさせてもらった日の記憶がうっすらとあります。
当時は正直なところ産科実習は苦手でしたし、分娩進行中の苦しそうな産婦さんの手を思わず握ったら、助産婦さんに叱られたのでますます産科は苦手になったのでした(笑)。


でも、今考えると一番苦手だったのは新生児だったのではないかと思っています。


繊細ですぐに命の危険がありそうな存在であるのに、相手が何を言いたいのかが全くわからないことが怖かったのではないかと思います。


初めてのお母さんたちが、赤ちゃんを前に緊張しているのと同じような感じですね。



それからおよそ10年後に助産婦学生になった時には、難民キャンプでもお産の外回りを手伝ったり、自分の担当であった予防接種などでもたくさんの乳児に関わっていた経験があったので、新生児に接することへの恐怖感はなくなっていました。


新生児の抱っこや世話もそれなりに手際よくできるようになり、ぐずっていても「なんだかよくわからないけれど大丈夫」という感じであやせるようにもなりました。
「こんなに小さかったっけ?久しぶりで怖い」といいつつ、うまく赤ちゃんの世話をされる経産婦さんたちのような感じでしょうか。



でも、やはり相手が何を言いたいのかわかっていないこと、本当に相手(新生児)を理解できているのだろうかというところに、怖さのようなものがあったのでした。


<新しい言語を習得する>


助産師になってしばらくしてから、1年ほど東南アジアのある国で暮らしました。
そこは多くの違うルーツの民族や言語をもつ人たちの地域がモザイクのように入り混じっていました。


英語とその国の公用語ができればおおよそ困ることはないのですが、少し都市部を離れると英語ができる人も限られてきます。
私はその国の公用語ができませんでしたから、何か言葉を覚える必要がありました。


日本で言えば、日本語に対して関西弁のような立場の言葉が準公用語のようなものとしてその地域で使われていました。
その言葉を学ぶために、現地でテキストを購入しました。
数十ページぐらいの、現地語を英語で説明したテキストぐらいしかありませんでした。
しかも簡単な会話程度なので、抽象的な概念など複雑な単語や会話などの見本は全くない状態でした。


公用語に関しては日本語でもかなり詳しいテキストが何冊もあるのですが、この現地語はおそらく文字に表現されたこと自体、まだ日が浅いのではないかと思います。
たぶんここ1世紀ぐらいのことではないかと想像しています。



おそらく最初はアメリカの宣教師などがここで暮らし、耳で聞く初めての言葉を何度も何度も聞きなおして、「これのことか」と現地の人に確認をしながら、単語から少しずつ複雑な文章を理解していったのでしょう。
気が遠くなるような作業です。


私も最初は子供たちや周囲の人から、何度も何度も聞き返しながら単語を教わりました。
そして、そこで暮らして半年ぐらいを過ぎると、ふと会話の内容がなんとなくわかることも多くなりました。
話すのはまだまだできませんでしたが。


現地の人にすれば、私の話は幼児程度の会話力でしたが、一人で市場に買い物に行ったり日常はそれほど困ることはありませんでした。


本当に大事なことは現地の友人が英語で通訳をしてくれました。
ただ、それさえお互いに母国語ではないので「なんちゃって英語」でしたが、それでも現地語のテキストには載っていないような相手の感情や社会問題などやや複雑なことを理解するには英語の通訳が必要でした。


<新生児の「言葉」を理解する>


新生児が真っ赤になったりトーンを変えて啼いたりする様子に、「何を伝えたいのだろう」とずっと思ってきたことは、「新生児の表情」のあたりから6回に分けて書きました。


出生後からどんどんとその表現力は変化していきますし、ひとりひとりの赤ちゃんによっても表現が微妙に違います。


人類の新生児のこの「言葉」を理解するという意味では、まだまだテキストも作られていなくて、見よう見まねでなんとなく理解している(つもり)の段階ぐらいなのだろうと思えるのです。





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