助産師の応召義務について考える 3 <地域開業助産師の応召義務は現実的か?>

こちらの記事」で二十数年前の助産学の教科書、そして2008年と2014年の助産師業務要覧に書かれている助産師の応召義務について紹介しました。


特に最も新しい2014年の業務要覧には、以下の文章がつけ加えられています。

開業助産師の場合には、地域や在宅からの求めに応じて課せられている。


「地域と在宅からの求め」の部分も、何を指しているのかよくわかりません。
現代の日本でこの一文を助産師業務要覧につけ加えるほど、助産師の応召義務は現実にあるのか考えてみようと思います。


<地域と在宅からの求めとはどのような状況か>


2014年の助産師業務要覧に、この「地域と在宅からの求め」が開業助産師として新しくつけ加えられた理由はよくわかりません。


1987年の教科書では「自宅で開業しているだけでなく、病院・診療所に勤務する助産婦を含めて、(中略)助産または妊婦、褥婦もしくは新生児の保健指導の求めがあった場合、これを拒んではならない」と記載されています。


つまり、「地域と在宅からの求め」というのは開業助産師だけでなく、私のような勤務助産師にも該当するものと理解しています。


具体的にどんな状況なのでしょうか?


近所や知人で私が助産師であることを知っている人からは、時々、相談の電話やメールがくることがあります。
私で答えられそうな場合は答えますし、緊急性があったり医師の判断のほうが相応しいと思う場合には受診を勧めます。

でもこれくらいなら「助産師の応召義務」というほどのことではなく、看護職としてその知識や技術を社会に還元している「隣人の善意」ぐらいの認識です。


開業助産師、特に分娩を取り扱う助産所の場合には、もっと深刻な応召義務に相当するような状況が現代でもあるのでしょうか?


<「助産師だけでお産を扱うということ」>


助産師の応召義務は、助産師だけでお産を扱っていた時代には不可欠であっただろうと思います。
助産師だけでお産を扱うこと」について書いた記事はこちらです。

1.「日本で助産婦が出産の責任を負っていた頃」
2.「出産と医療、昭和初期まで」
3.「産婆から助産婦へ、終戦後の離島での出産の医療化」
4.「開業助産婦と嘱託医」
5.「母子保健センター助産部門」
6.「役割は終わった」


離島やへき地といった物理的な理由のみならず、経済的にも医師の診察を受けられない人がほとんどであった時代には、助産婦は経済的理由で助産や保健指導を拒否することはできないという応召義務が課せられたのだと思います。


大雪などの悪天候であっても、疲れていても求めがあれば出かけていた開拓産婆の方々のように。


当時の産婆や助産婦にとって、応召義務というのは営業という開業権と対になった義務だったのかもしれません。
もちろん、世のため人のためという崇高な志をもった方々も多かったと思いますが。


助産」が医療の一部になり、また社会保障や福祉での支援が増えるに連れて、私たち助産師は全てを抱え込まなくてよくなったのがここ半世紀なのだと思います。
「お医者さんに相談してみて」「保健センターに相談してみて」「救急を受診してみて」と、社会インフラをアドバイスするぐらいです。


開業助産師の「応召義務」という言葉は、助産師の私でもその具体像が思いつかないほど現実的ではないように思います。