つじつまのあれこれ 7 <「自力出産」という危険な思想>

「自然なお産運動」では、助産師とくに開業助産師は産む人の味方であるかのように持ち上げられてきました。
そのキーワードが医療介入という言葉であるような印象です。


「無意味な医療介入」や「産む人の意思を無視した医療介入」のように。


ところがこの産婆や開業助産婦の存在さえ、出産姿勢や共同体という世界観の邪魔になるようです。


「産み育てと助産の歴史」医学書院、2016年)の「第3部 戦後の産み育ての変遷」の「第2部 自宅で産んでいた人々=農山漁村の体験者の語りから」から前回の記事で引用した「世界観」に続いて、以下のように書かれています。

こうした状況は、助産婦の介助による自宅出産が新しい選択肢として普及するに従い、排除されるようになっていったが、助産婦が間に合わない場合も少なくなかったから、自力出産そのものは現在より受容されていたといえる

それは、女性雑誌に自力出産の注意点が掲載されていることからもうかがい知ることができる。昭和7(1932)年の「主婦の友」2月号の附録「妊娠から出産までの安産の心得」には、妊娠のしくみ・腹帯の巻き方、介助者の選び方・自宅出産の準備・出産の進み方など、現在のマタニティ情報とさほど変わらない実用的情報が79ページにわたり記録されている。そのなかに「産婆の間に合はぬ時の注意」という項がある。産婆が間に合わずに赤ん坊が生まれてしまったときには、清潔な布にくるみ、産婦の出血に注意を払うこと。また胎盤の出し方、臍帯の切断の仕方なども具体的に記述されている。こうした緊急的応急処置が情報として伝えられなくなったのは、その後、医師または助産婦がすべての出産に関与することが大前提とされたからである。言い替えれば、出産における処置が医療行為として規定され医療化されたことにより、出産は医療者が介助しなければならないものという規範が形成されたことになる


そうか、ある時は助産師を持ち上げ、ある時は邪魔な存在と感じているかのようなニュアンスが「自然なお産運動」からしばしば伝わってくるのは、「自力出産」を阻む存在だからかもしれませんね。


<「『産むこと』をめぐる手段」>


本当は助産師にも引っ込んでいて欲しい、自分で自分のお産をコントロールしたいのだという強い気持ちを持つ人が一定数いらっしゃるのかもしれません。
そんな気持ちが、次に続いています。

木村は、「医療化は『しろうと』である人々の、人の誕生をはじめとする生死にかかわる営みへの関与を、縮小させたのではないだろうか」と問いを投げかけ、「ただ一人で子どもの誕生に向き合った人々は、その手に『産むこと』をめぐる手段をもち、その結果を引き受けて来た。それらがいかに不合理であったとしても、医療に依存することは少なかったはずである」(木村 2010:191)と述べている。

ここでいう「『産むこと』をめぐる手段」とは、共同体内での知恵の伝承や共助、精神性などであるが、自ら産むことのできる身体性も含まれる。しかし近代社会においてこうした手段は、昔ながらの非科学的な価値のないものと退けられてきた。これは近代社会が、出産における身体性を理解することを避けてきたことでもある。当時の農山漁村では、医療者に依存する必要性を感じていなかった人々が存在しており、その背景には医療者不在の地域格差や「下流貧困」という言葉だけではくくりきれない。産むことのできる身体性が存在し、それが自らに備わっていることを女性たちが暗黙のうちに了承していたからではないだろうか。

「その結果を引き受けて来た。それらがいかに不合理で拙劣であったとしても」。
このひと言がどのような状況なのか、そして自分もその立場に成りうることもリアリティをもって考えることがないから、「自力出産」とか「自分で産む身体性」とか、さらっと書けてしまうのだろうなと思います。


それがどんなに危険なイデオロギーであるか、理解してもらうことは難しいのかもしれません。


こういう「自然なお産運動」で助産師を持ち上げたり排除したりするつじつまの合わなさに真正面から対応せず、自分たちの開業権を守りたいとか正常なお産は助産師だけでといった助産師の政治活動に利用して来たから、こうした危険な考え方を育ててしまったのではないかとこの30年ほどの流れを振り返っています。


「その結果を引き受けて来た。それらがいかに不合理であったとしても」
もう一度書きますが、こんなことを書けるのは、知らないからに他ならないと思いますね。




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