医師の応召義務についての議論は2000年代によく目にしましたが、その解釈についてどうとらえたらよいのかは部外者、というより当事者ではないので理解は不十分なままです。
ただ、Wikipediaの応召義務の説明を読むと、時代の変化がわかり興味深いと思いました。
たとえば、[日本の医師法における応召義務]の中で、「患者が貧困であるという理由で、十分な治療を与えることを拒む等のことがあってはならない」については厚生省が昭和24(1949)年に出した通達が脚注に紹介されていますし、「休診日であっても、急患に対する応召義務を解除されるものではない」は昭和30(1955)年、「休日夜間診療所、休日夜間当番制などの方法により地域における急患診療が確保され、かつ、地域住民に十分周知徹底されているような休日診療体制が敷かれている場合において、医師が来院した患者に対し休日夜間診療所、休日夜間当番院などで診察を受けるよう指示することは、医師法第19条第1項の規定に反しないものと解される」は昭和49(1974)年の通達のようです。
<昭和24年と昭和30年の通達より>
1949年や1955年であれば、電話などの通信手段も交通手段も限られた時代ですから、患者さんの家族が直接、医師の家まで徒歩や馬などで来て診察を請う状況が多々あったことでしょう。
また健康保険制度もごく一部にしかなかった時代ですから、こちらの記事で紹介したように、医療を受けるために膨大な借金を背負う可能性もありました。
この昭和24年と30年の通達が「いわゆる医師の応招義務に関する規定等」として公開されていました。
昭和24年の通達は都内で「空床がないことを理由に収容を拒んだ」ことから発したようです。
「天候の不良等も、事実上往診の不可能な場合を除いては『正当の事由』には該当しない」とか、自分の診療科目以外を求められても応じるとか、なかなか厳しい内容ですね。
昭和30年については具体的な話は書かれていないのですが、「単に軽度の疲労をもってこれを拒絶することは、第十九条の義務違反を構成する」と、これもまた厳しい内容です。
軽度の疲労とは何か・・・ですね。
<応召義務に変わるシステム>
国民皆保険制度から十数年たった昭和49(1974)年になると、休診日でも請われれば診察をしなければならなかった30年代とは大きく変化して、休日・夜間診療体制ができつつあることが読み取れます。
1970年代は携帯電話はないけれど、一家に一台電話があることが普通になりましたし、自家用車の保有率も急増した時代です。
また救急搬送の行政サービスが始まった時期ですから、まずは電話で受診可能か相談できるようになりました。
医師個人の使命感と善意に頼っていた応召義務が、少しずつ社会のシステムとなっていった時代とも言えるのかもしれません。
でも「軽度の疲労をもってこれを拒否することはできない」に関しては、医師だけでなく医療職や救急隊など全ての職種にはもっともっと過酷な時代になってきたように思います。