雑草ー人間と共存する植物

そういえば雑草とは何か、ノビルイネ科の雑草の記事を書いていて気になり始めました。


Wikipedia雑草を読んで、この年までそういう本質的なことにも気づかずに当たり前のようにこの言葉を使っていたことに、なんだかヒヤリとしたのでした。


そうか。人間がいなければ雑草という植物も存在しないのか、と。


まず「雑草とは、人間の生活範囲に人間の意図にかかわらず自然に繁殖する植物のことである」とありますが、これはなんとなく認識していたと思います。


<環境の特性>には以下のような説明が書かれています。

環境に共通する特徴は、きわめて人為的撹乱を激しく受ける場所だということである。運動場や道路脇では、まず強い日照、水不足、土壌の少なさ、乏しい肥料分、埃や煤煙、それに踏みつけがあり、その上に少なくとも数ヶ月ごとに草刈りが行われる。

(中略)このような環境で生活を営み続けられるのは、その生活に強く適応した植物であり、雑草の多くは、人家周辺でのみ生活しているものである。このような植物は自然の保存された山野では見られず、人がそこに例えば道をつけると、そこに出現する


たしかに私が見続けている土手も、道路脇なので車の排気ガスやゴミの投げ捨てなど劣悪な環境です。
美しく咲いていたノビルや草が、翌日には投げ捨てられたゴミでペシャンコになっていることもあります。


またイネ科の植物がぐんぐん成長する時期には歩道へとせり出してくるので、自治体から委託された業者によって、ある日突然すべてが刈り取られてしまいます。


あ〜あ、と少し寂しい気持ちで通勤していると、また緑が出始めてあっという間に土手を被い尽くしていきます。


そして人間と共存しつつ、人間に刈り取られたり踏みつけられている雑草の中にも栄枯盛衰があるようで、10年見続けているとある種がその勢力を伸ばしていることも見えたりします。
最近では、コバンソウが優勢のようです。


Wikipediaコバンソウの説明では「明治時代に観賞用に輸入された帰化植物」とありますが、10年前にはその土手の端に数本ぐらいしかなく、初めてコバンソウを見たこともあって貴重な草だと思っていました。
いまや土手全体に広がっています。けっこう強い草なのかもしれません。


もう少し雑草のことを知りたくなって、「散歩が楽しくなる雑草手帳」(稲垣栄洋著、2014年、東京書籍)を買ってみました。
帯に「誰かに話したくなる身近な雑草の100の雑学」と書かれてある通り、つい紹介したくなる話がたくさんありました。


この本の中で興味深かったのは、スギナの話です。

生きた化石
スギナやツクシを節の部分で抜いてから、元の位置に戻して「どこどこ継いだ?」と当てる遊びがある。スギナの名は葉が杉の葉に似ていることに由来するとされるが、この遊びから「継ぎ菜」に由来するとも言われている。スギナは「生きた化石」と呼ばれる原始的な植物であり、茎と葉がはっきりと分化していない。葉のように見える細く分かれた枝は茎と同じ構造をしている。

「祖先は石炭の原料に」
スギナの仲間はおよそ3億年前の石炭紀に大繁盛した。当時は数十メートルにもなるスギナの仲間が、地上に森を作っていたのである。このスギナの祖先が化石化したものが、石炭である。


いやあ、本当に雑草ワールドおもしろいですね。
もし40年間にこの観察の面白さに気づいてもう少し勉強好きになっていたら、今頃植物研究者の道もあったかもしれませんね。
いえ、きっとやり残したことの多さに気づくこの年代だからこそ、いろいろなことが面白くなるのかもしれません。
雑草のような人生でしたから。