水の神様を訪ねる 98 宇陀の菟田野の水分神社

また読めないタイトルですね。

「宇陀(うだ)の菟田野(うたの)の水分(みくまり)神社」です。

 

どこにあるのかも知らなかった宇陀を地図で眺めていたら、西側には宇陀川、東側には芳野川が流れてそれが榛原(はいばら)駅の近くで合流しているようです。

 

宇陀川に沿って「大宇陀」、芳野川は「榛原」と「菟田野」という地名が広がっていました。

大宇陀の方が観光客が行きそうな場所であるのに対して、菟田野は水田地帯が広がっているようで、その二つの地域はおそらく低い山で隔てられているようでした。

 

どちらに行こうか、宇陀らしいといえば宇陀川沿いかもしれないけれど、菟田野という地名と吉野川ではない「芳野川」にも惹かれます。

地図を何度かみているうちに、芳野川沿いに「水分神社」があるのを見つけました。

2022年の秋に吉野川の里に水を行き渡らせる神様を訪ねました。

菟田野を訪ねようと決まりました。

 

 

*古市場の宇太水分神社へ*

 

榛原駅からバスに乗り、芳野川沿いに冬でも美しい水田地帯や点在する集落を眺めながめました。

15分ほどで古市場水分神社前バス停に到着し、神社へ向いました。

灰色の屋根瓦と木の古い家並みが残る旧道で、朝の静寂と日差しがなんとも神々しい街並みです。どうしてこんなに落ち着いた街が日本各地に忍耐強く残っているのだろうと、我と彼の差はこれからどんな感じで現れてくるのだろうと同じはずの半世紀の行く末を思うのでした。

 

鬱蒼とした鎮守の森の中に鮮やかな朱色の建物が見え、「宇太水分神社本殿 三棟 鎌倉時代(1318年)創建」とありました。

周囲も静寂ですが、どこからか何かを修理しているような音が聞こえてきます。

静かに静かにここで暮らす生活があるのだ、なんだかかなわないなあと、こんな時にふわりとめまいのような感覚になることが増えました。

 

南東へと続く街並みを歩き、芳野川を渡って右岸沿いに歩きました。後ろから自転車に乗ったお坊さんに、「お先に」と声をかけられました。

芳野川の美しい水面に、青鷺が佇んでいます。美しい桜並木に、川を眺められるようにベンチもあります。

途中に石仏が並んでいました。

「石仏の由来」には1935年(昭和10)に造られた石仏で、1959年(昭和34)の伊勢湾台風の際に大師堂が崩壊、その後古市場地蔵の辻地蔵堂に祀られていたが、1966年(昭和41)の国道166号線建設のためにこの堤防に引っ越されたことが書かれていました。

 

水分桜という桜並木は、伊勢湾台風の後に植えられたことを帰宅してから知りました。

 

菟田野は芳野川上流まで続いて水源の近くにも惣社水分神社があるようですが、バスもないのでここからまた榛原駅行きのバスに乗りました。

 

 

*川合のそばの宇太水分神社

 

芳野川が宇陀川に合流するところにかかる榛原大橋のバス停で下車し、少し南へ戻ると小高い場所にもう一つ水分神社があります。

 

滑りやすそうな坂道の参道を上ると、大きな木が鬱蒼とした中に古市場水分神社よりは新しそうな拝殿がありました。

りっぱなパンフレットがあったのでいただいて来ました。

 当神社の創祀年代は、太古の国史「三代実録」(奈良時代平安時代に編集された六国史本)によれば「貞観元年(859)9月8日宇太水分神社へ風雨祈願に勅使を遣わし幣(お金や織物等)を奉った」とあるから、その由来は実に古く、水分神は「ミクマリ」と読まれ、五穀豊穣と生命を宿す御神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきたことが物語っている。

 延喜式神明帳では、当水分社は葛城、都祁(*つげ)、吉野水分と共に大和の四水分の大社とされてきたが、応保年間(1160年)頃より芳野川に沿って三所三座(当社・古市場社・芳野社)に祀られている。

 一説には、古市場には天水分神、当社には国水分神、上芳野には若水分神を祀ったとも。あるいは、古市場には男神、当社には女神、上芳野には童神を祀ったとも伝えられている。一般には、上芳野の社を上社、古市場の社を中社、当社を下社と区別している。

 社殿は、明治のはじめ頃までは春日造りでしたが、明治11年に「神社形式令」により県社の指定を受け現在の神明造りになりました。

(*引用者による)

 

<神社を知るためのメモ>

水分神(みくまりのかみ)とは、神道の神である。

神名の通り、水の分配を司る神である。「くまり」は「配り(くばり)」の意で、水源地や水路の分水点などに祀られる。

日本神話では、神産みの段でハヤアキツヒコハヤアキツヒメ両神の子として天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)が登場する。

水にかかわる神ということで祈雨の対象灯され、また田の神や、水源地に祀られたるものは山の神とも結びついた。

 

芳野川が宇陀川と合流するこの地点には、どんな水の歴史があったのでしょう。

 

それにしても美しい水田地帯でした。

 

 

*おまけ*

 

吉野川と同じく芳野川(よしのがわ)と読むのだと思い込んでいたら、今になって「ほうのがわ」と読むことを知りました。

ちなみに九頭龍川(くずりゅうがわ)の支流にも芳野川があって、そちらは「よしのがわ」と読むそうです。

 

 

 

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