あの山は何と言うのだろう

父の面会に行く時に、車窓から山がたくさん見えます。
子どもの頃はこんなに山が近くにあって毎日見ていたのだと、感慨深いものがあります。


そういえば、都内からその地域に父の転勤で引っ越すことが決まった時に、当時幼稚園児だった私が描いた絵がありました。
「山がたくさんあるところに引っ越す」という親の話に、「山」そのものを見たことがなくて知らなかったのではないかと思います。
丘のような場所をいくつか描いて、それぞれが橋でつながっている様子をイメージした絵でした。


引っ越してからは、「山を見る」だけでなく生活の場が山そのものという標高の高い地域でしたから、遊びの場も「裏山」でした。


春と秋の遠足は、裏山の中でも少し高い山への登山でした。
ハイキングコースなんてなくて、茂った草や木をかき分けて先生のあとについていくワイルドな遠足でした。



そのひとつの山の名前は今でも覚えています。
でも、地図で探しても載っていません。
もしかしたらこういう山の名前は、地元の人の中でしか通用しないものなのかもしれません。


車窓からみる山々を見て、あの山のひとつひとつにも名前があるのだろうかととても気になり始めました。
半世紀近くあの山々を見てきたのに、それぞれに名前がある可能性に考えが及ばなかったことにヒヤリとしたのです。


目の前に当たり前のようにある事実について、深く考えることもなく過ごしてしまったことに気づいた焦りとでもいうのでしょうか。


その地域の折り重なった山々の名前を知りたくて検索してみました。


検索しようとして、あの「山々」はどのような言葉で表現するのかということにつまずきました。
「山並み」しか言葉が浮かんできません。
とりあえず、そのあたりの「○○山系」で調べてみましたが、載っているのは比較的大きな山の名前だけでした。
やはりそれ以外の小さな山は地元の人にしかわからないような通称で呼ばれているのでしょうか。


結局、車窓からいつも見ている山々の名前は見つかりませんでしたが、行き当たりばったりで検索していたら恐山の名前の由来が書かれているものがありました。
「『日本地名さんぽ』のアイヌ語」というサイトに、「『襲う』から山が重なった様子や崩壊地形の意味」と書かれていました。



気になっていた植物についての記事を書いていると、気が遠くなるような長い時間をかけた観察によって名称がつけられ分類されてきたことに、あらためて畏敬の念に近い気持ちになるこの頃ですが、山もまた同じですね。



地図に関する記事のまとめはこちら