散歩をする  194 高梁川沿いに山陽から山陰へ

この1年は人生で一番、新幹線に乗ったのですが、東海道新幹線から見える風景もだいぶ覚えました。

車窓から見える家とか田畑とか建物とか山や川とか、「あ、あれは見た記憶がある」と思い出せるのは不思議ですね。

 

今年は2回、3回と通過したり歩いた場所もあったのですが、一度通るとなんとなく車窓の風景でさえ記憶されているので、なおさらその能力を失っていくことの不安はいかばかりだろうと思い出されました。

 

東海道・山陽新幹線からの風景も見飽きるどころか、見るたびに新しいことが見えてくる楽しさがありました。朝比奈川の橋には車窓からも川の名前がすぐにわかるように名前が書いてあったとか、茶畑やみかん畑の広がる場所には川がほとんどないことや、琵琶湖には水無川がたくさんあること、それから私にとっては夢のような使い捨ての布で記憶している日本バイリーン社の工場が琵琶湖の近くを通過するときに見えました。後で検索すると、1961年に滋賀工場がつくられたとあります。

見ているはずなのに見ていないことが多いですね。

 

伯備線高梁川沿いを見る*

 

懐かしい岡山駅に到着しましたが、十数分ほどでやくもに乗り換えです。車窓からあの庭瀬が見え、昨年、街の中を歩いた記憶が鮮明に蘇ってきました。

残念ながら倉敷は素通りですが、高梁川から取水している東西用水路が少し見え、そこから張り巡らされている用水路の水の美しさを見ることができました。

 

今回は、中海や宍道湖が見えるように進行方向に対して右側の席をとったので、小田川との合流部付近の川の様子を見ることはできなかったのですが、対岸側の住宅や田畑は日常の風景のように見えました。

 

このあたりから高梁川に沿って山間部に入っていきます。どんな風景が見られるのか楽しみです。

 

駅が近づくたびに、鮮やかなきいろに染まった大きな銀杏が必ずありました。大きな寺社があり、そのあたりの斜面に沿って家が並んでいます。

木野山あたりから、東北の日本海側北陸のように黒い瓦が目立つようになりました。

そこまでは、高梁川は座席の反対側だったのでほとんど見ることができなかったのですが、このあたりから川は蛇行を繰り返し、列車は高梁川をなんども超えるので、上流部の流れを見ることができました。

備中川面駅という名前の由来も気になる駅のあたりでは、線路脇に石積みの防護壁が残されて入れて、いつ頃どんな人たちがこれを築いたのだろうと、歴史が気になる風景でした。

井倉のあたりには、武甲山日原川上流と同じく石灰を採掘している場所がありました。

 

 

石蟹(いしが)駅をすぎてしばらくすると、伯備線高梁川本流と離れ支流沿いを走ります。ダムがあるようです。

新見のあたりから黒い瓦だけでなく、魚の形をした瓦のようなものが付いている家が目立ち始めました。鴟尾(しび、とびのお)というのですね。Wikipdiaの写真よりも、もっとはっきりした魚の形でした。

 

 

新見を過ぎるとまた高梁川の本流沿いに走り、地図では細い水色の線になっていくのですが結構な水量と切り立つ岩や晩秋の紅葉と美しい風景が続きます。

特急列車でもところどころで行き違い列車を待つので、風景をゆっくりと見ることができました。

 

分水嶺を越えて山陰へ*

 

事前に予習しておいた川のメモから、足立駅を過ぎたあたりでもうすぐ高梁川と離れて分水嶺に入るだろうと気をつけていたので、その場所を見届けることができました。

 満足していると、トンネルに入る少し前に、「今、分水嶺をこえ、トンネルを出ると今度は石見川になります」という車内放送がありました。

分水嶺を案内してくれた路線は初めてです。

 

トンネルを抜けるとその名も上石見駅があり、しばらくすると石見川が見え始めました。

 

分水嶺でもあり、県境でもあり、そして山陽と山陰の境界線のトンネルを超えると、やはり同じように落ち着いた街や田畑の風景が続くのでした。

そしてあの、魚の形をした鴟尾がある家も続いていました。

少し違うといえば、それまでは黒い瓦が中心だったのに、茶色や赤の瓦の集落がぼちぼちと見えたことでした。

 

山陽・山陰の歴史も知らないままだったと、その境界線はなんだったのだろうと気になり始めました。

 

 

*おまけ*

 

家族旅行で鳥取砂丘宍道湖を訪れたのは1970年代初めの頃でしたが、列車ではなく父の運転で車で出かけました。

当時から一度地図を見ると道を覚え、父の運転の人間ナビゲーターだった母ですが、この旅行でどこを通ったのかたずねても記憶に無いようです。松葉ガニを山のように食べたことは覚えているようですが。

おそらく、伯備線と並走している道を時間をかけて走ったのではないかと思うのですが、当時はまだ地図に記録はしていなかったようです。

 

あの時に見た風景の記憶がないか、目を凝らしていたのですが、私も結局わかりませんでした。

どこを通ったのでしょうね。

 

 

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