米のあれこれ 2 <こんなに米の種類があるのか>

1980年代半ばに、東南アジアで暮らし始めた頃、当時の日本ではまだ自主流通米は限られた人が買う高級なお米という記憶があります。


ご飯を美味しく料理するためには米の銘柄という選択肢はなくて、「米の研ぎ方」「炊くための火加減」といったコツぐらいでした。
当時のお米屋さんの店頭にも、米の種類は分類でいえばジャポニカ米しかなかったと思います。


1980年代初めの頃はエスニック料理もまだほとんど受け入れられていませんでしたし、本格的なカレー専門店のボルツでも、お米は日本人向けに普通のご飯だったように記憶しています。


世界中、どこでもお米といえば日本と同じものを食べていると思っていました。


赴任した東南時アジアの国で、ぱさぱさのご飯が出されて「こんなお米と食べ方があるのか」と驚きました。



大皿にご飯がどんとよそわれてきます。それをそれぞれが少しずつ取り分けながら、お皿の上でおかずと混ぜながら食べます。
日本のように炊きたてはむしろ手で食べるには熱すぎるので好まれませんし、美味しさの基準でもないようでした。


またもちっとした粘り気や噛みごたえよりも、おかずに混ぜやすいことがお米としての美味しさを感じさせるようでした。


ご飯の炊き方も、適当な水を加えて沸騰してからしばらくは「煮る」という感じで、上にたまってきた粘り気のある水はどんどんと捨てていき、最後に一気に水分を飛ばす方法のようでした。


日本人にしたらあのおネバの部分にも旨味があって、捨てるのはもったいなく感じましたし、当時は現在ほど精密なコンピューター制御の炊飯器はまだありませんでしたが、それでも電気やガス炊飯器は火加減の自動調節もあって「初めチョロチョロ、中パッパ」という感覚的な火加減を炊飯器が実現していましから、同じお米でも調理方法はずいぶん違うのだと驚きました。


でもじきに、私もその大皿に盛られたぱさぱさのご飯が美味しく感じられるようになりました。
むしろ、たまに日本料理店で日本から輸入したお米を食べたり、一時帰国で日本のご飯を食べると胃が重たくなるほどでした。


だんだんとその地域での生活に慣れると、市場での買い物も楽しみになりました。
お米屋さんの店頭には、生産地と等級別に何十種類ものお米が並んでいて、日本と全く違いました。
皆、好き好きにその山に盛られたお米を自分でとって触り、香りを嗅いだり、齧ったりしてからどれを買うか決めていました。


それまでそういう方法でお米を選択した経験がない私は触っても嗅いでもよくわからなくて、結局はそこそこの値段のものを買うしかありませんでしたが。


お米の種類も調理方法もいろいろでしたが、あのご飯を炊いている香りが漂うときの幸せな気分はどこでも同じかもしれませんね。




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