食べるということ 2  <「食育」ってなんだろう>

doramaoさんの本には「食育」という言葉が使われています。
doramaoさんのブログの愛読者としてはちょっと違和感を感じたタイトルなのですが、たぶんあえてその言葉を入れることで、「食育」から怪しい考えに行き着きそうな人たちを取り込む作戦なのかなと思いました。


私が小学生だった1960年代後半から70年代では「食育」という言葉はまだなかったのではないかと思いますが、給食は栄養についての知識を啓蒙する機会だということは子ども心に感じました。


あの机の上に敷くビニールのテーブルクロスにも三大食品群の図が書かれていて、それを見ながら「バランスの良い食事」が自然と身につくように期待されていたのでしょう。


まあ、1960年代半ばぐらいは脱脂粉乳から牛乳へようやく変わり、しかもカルシウムの粉が添えられた薄い牛乳が当時の小学生には大事な栄養のひとつだったわけですし、肉や魚も毎日のように食べられるわけではなく、3食のうち給食が一番栄養があった家も多かったのかもしれません。


その後、1970年代から目覚ましく日本の社会が豊かに便利になったことはこちらの記事で書きました。


今思えば、あの三大食品群の絵をみながら「こんなに色々な食品をバランスよく食べれるなんて凄いな」と、夢を見させる「食育」だったのかもしれません。


<『5つの「こ食」』>


「親子の食育BOOK」のp.98に「『ばっかり食い』はよくないと、主食とおかずと汁物をローテーションで食べる『三角食べ』をすすめられることがあります」と、「三角食べ」について書かれています。


私自身は小学生の頃にそこまで食べ方の順序まで言われた記憶はないので、いつ頃だったか、この「三角食べ」という言葉を聞いて「変なことに意味を持たせるな」と感じました。
だって、イタリアンだってフレンチだって前菜から始まって順番に食べるし、懐石料理だって最後にご飯で締めですものね。あまりこだわらせなくてもいいのにと思いました。


さてdoramaoさんのこの本に「Column 1」(p.10)として『5つの「こ食」』が書かれていました。


『5つの「こ食」』とは、子どもの望ましくない食習慣を表す食育用語で、具体的には以下の5つです。
●「孤食
家族と別にひとりで食事をすること。
●「個食」
家族それぞれが自分の好きな別々の料理(メニュー)を食べること。
●「固食」
同じものばかりを食べること。
●「粉食」
パンや麺などの粉ものばかりを食べること。
●「小(少)食」
食事量が少ないこと。


さて、これについてdoramaoさんの思いは如何に。
それは本を購入してのお楽しみにということで。


それにしても、いろいろな事を考えて形や言葉にしたい人が多いのですね。
そしてそれは言葉の意味を問い直すでも書いたように、どの世界でもあるのでしょう。


こうした言葉を羅列してみると、わかりやすい言葉を求める側とその世界での権威を求める側のニーズが一致したように私には見えるのです。
それは鶴見良行氏の「あまり理論化を急がないほうがよい」という思いに通じるところがあると思います。


30年以上も前に「途上国の乳児死亡率の現実問題に対して仮想の答え」として生み出された「母乳育児成功のための10か条」が根強く残ってしまっていることを思うと、「食育」も似ているなと思います。




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