帝王切開について考える 24 <マズローのニーズ理論と術後の安全なケア>

「周手術期看護論 第3版」(ヌーヴェルヒロカワ、2015年)では、前回の「手術による変化・喪失の受容支援」の次に「安全の保障」としてマズローの理論から説明が書かれていました。


このマズローの理論はWikipediaでは自己実現理論として書かれていますが、1970年代終わり頃に看護学校でもすでに学びました。


Wikipediaを読むと批判はいろいろあるようですが、普遍的な要素があるからこそ、こうして30年以上たった現在でも使われているのかもしれません。


私は1980年代から東南アジアやアフリカで過ごしたことで、マズローの理論が現実味を帯びて感じられるようになりました。
「生理的欲求」「安全の欲求」さえも満たされない地域がある反面、日本に生きる私は自由に海外に行くこともできるし、「愛情および所属の欲求」「尊重の欲求」「自己実現の欲求」と手に入れられないものはない社会を享受していました。


その差に対するリアリティショックが、自責の念を強めて現実と理想の間で右往左往した赤面の人生になったわけですが。


さて、そのマズローの理論はいろいろと瑕疵があるのかもしれませんが、術後の看護を考える時にはわかりやすいのではないかと思います。


<「安全の保障」より>


「周手術期看護論」では、患者の安全に重点が置かれていることが書かれています。

手術患者は身体的にも心理的にも傷つきやすい状態にあり、つねに他者によって安全を保障される必要がある。患者は負担や無理のかかる医療処置を受けることから擁護されることも、安全な入院環境や入院期間を保障されることも必要である。(p.68)

手術は疾患からの回復のメリットが、体を傷つけるデメリットよりも上回るから選択されるわけですが、「手術による安全の脅かし」では以下のように書かれています。

麻酔や手術による侵襲およびその生体反応によって、患者の体力や身体機能は術後一時的に低下した状態に陥る。生体が侵襲を受けること自体が、患者にどのように認知されるかにかかわらず、患者の安全を脅かしている。患者は、侵襲やその生体反応がもたらずさまざまな症状、および体力や身体機能の低下を体験する。心身をコントロールする能力が低下していることを実感し、自分の身の安全が脅かされていると感じる患者もいる。(p.69)


このように生命を脅かすような極限といってもよい状態が手術直後だといえることでしょう。
そこからの回復過程で大事な事が、マズローの理論では最も下位の「生理的欲求」であることが以下のように書かれています。

<生理的欲求>

(前略)
術後の患者は十分な睡眠をとり、身体的な活動を極力抑え、傷みを感じないようにできるだけ安静にしている。これらは生体が生理的欲求を満たそうとしていることのあらわれである。それは、生体のホメオスタシスを維持しようとする無意識的な働きと、生命維持のために安全を確保するという患者の意識的な動機によって成立している。(p.70)

<欲求の階層理論>


術後の患者の言葉や行動が生理的欲求として動機づけられたものであれば、最優先にその欲求は満たされる必要がある。なぜならば生理的欲求は生命維持の欲求であり、この欲求の充足なくして人間は生命を維持することはできないからである。

さらに、欲求の階層理論を示したマズロー(Maslow.A.H)によれば、人間の欲求には連続性を伴った階層があり、より上位の欲求が充足されるためには、その下位の欲求が欠かせないという。生理的欲求は最も下位の欲求であり、この欲求が満たされなければ、その次の安全の欲求から、愛情および所属の欲求、尊重の欲求、自己実現の欲求へと患者の関心は動機づけられないことになる。(p.70)

<欲求のアセスメント>


(前略)
人間の休息、回復への欲求は、エネルギーを蓄えるための生理的反応・傾向でもある。つねに成長を志向し続ける必要はない。特に周手術期にある患者は、休息、回復への欲求を満たすことも大切であろう。


手術を受けた女性が十分な休息や身体の安全性が優先されることなく、「母乳育児支援」という言葉で育児という上位欲求ともいえる部分を優先させ、「母親」の役割を手術直後の第一相障害期からさせているとしたら、日本の帝王切開術後看護は科学的な看護理論とはほど遠いものではないでしょうか。


対象の観察に基づく個別性のある看護とはほど遠い、「母親はこうあるべき」のようなイメージが先行しているのではないかと思います。