水のあれこれ 22 <一回性と再現性>

世界水泳2015カザン大会の録画を観て余韻にひたっています。


200mバタフライで優勝した星奈津美選手のレースも、準決勝・決勝ともに鳥肌が立ちながら観ていました。
星選手が競泳日本選手権の準決勝・決勝に残るようになったのは、2000年代後半の高校生の頃だったと記憶しています。Wikipediaを読むと、2008年に2位になって北京オリンピックに出場したのが高校3年生の時のようです。


当時は200mバタフライは2003年のアテネオリンピックで銅メダルをとった中西悠子選手がまだまだ強い時期でした。中西選手もさらに泳法を変えてスピードを強化して2008年の短水路日本選手権では、あの辰巳国際プールで世界新記録を出しました。
2009年の短水路で200m背泳ぎで世界記録を出した酒井志穂選手の時もそうですが、目の前での中西選手の泳ぎに鳥肌が立ったのでした。


その頃の星選手は中西選手からだいぶ差をあけられての2位でしたが、伸びやかな泳ぎとインタビューでも冷静な受け答えに、中西選手の次の世代を引っ張っていく選手になるのだろうなといつも声援を送っていました。
そして2012年の日本選手権では、2分4秒69という4秒台の記録を樹立。このときも淡々としたインタビューだったと記憶しています。


今年の4月の日本選手権では、彼女の首に一筋の赤い線が見えました。「あ、手術をしたのだ」とわかりました。
優勝インタビューでは「ここまで戻れたことが奇跡のようだ」という内容の答えとともに、珍しく声が潤んでいました。


たしかにオリンピックでは銅メダルでも世界水泳では4位が続き悔しい思いもあるかもしれませんが、星選手にとってはこうした世界大会で体と心がうまくあって「空を飛ぶような泳ぎ」を再現できたことが何よりの喜びだったのではないかと想像しています。


渡部香生子選手の泳ぎもまた、違う意味で鳥肌が立ちました。
渡辺選手が日本選手権で注目され始めたのは2011年の中学生の頃で、マスメデイアでも取り上げられました。
軽々と泳ぐ姿には、彗星があらわれたような期待が会場にも感じられました。


でもこうした選手が現れると、社会がそこに何か感動やストーリー性を期待しすぎて、せっかくの努力が開花できなかったのではないかという選手たちのことが思い浮かぶので、すごい選手だと思うとともに期待しすぎないように応援したいという気持ちでした。


その後やはりスランプのような時期があり、ふと彼女の泳ぎが吹っ切れたかのように以前の軽さを取り戻したのが昨年だった印象です。
彼女もまた「空を飛ぶような泳ぎ」が再現できた喜びがあるのではないかと感じて、鳥肌が立ったのでした。


そこでまた「笑顔が必要」といったストーリーになっていましたが、彼女は笑わなくても十分にリラックスし自分の目的に向かっている人ではないかと私には思えるのです。
国際大会で来日する海外選手を見ると日本人に受けそうな笑顔はあまりありませんが、自分の結果を淡々と冷静に受け止めている姿に、自分は自分という芯の強さを感じるのです。
アイドルとは違うのですから、選手はそれでよいと思います。



そして最終日の瀬戸大也選手の400メートル個人メドレーもまた、鳥肌が立ちました。
ロンドンオリンピック代表になれなかった後バルセロナ大会での優勝、そして瀬戸選手の次の段階に入った泳ぎ方に会場でいつも見入っていました。


今回大会は優勝を期待されていた200mバタフライと200m個人メドレーでも不調で、どうなってしまうのだろうとこちらもドキドキしていましたが、見事に気持ちを切り替えてあのバルセロナ大会の泳ぎ以上のものを再現してくれました。
途中の背泳ぎで少し泳ぎが重いかなと感じましたが、それ以外は彼もまた空を飛ぶような泳ぎでした。


この世界水泳とほぼ日程を同じく開催されていた全米競泳大会(正式名称はわからないのですが)で、あの復帰したフェルプス選手が世界記録に迫るような泳ぎで200m個人メドレーで優勝したり、古賀淳也選手が100m背泳ぎで優勝していました。


世界中に、虎視眈々と自らの空を飛ぶような泳ぎの再現を目指して練習をしている達人級の選手がたくさんいるということを、今回優勝した選手たちが痛いほどわかっているのだと思います。
あまり「オリンピック」や「金メダル」に注目しすぎると、こうした選手の手足の動きがバラバラになってしまうのではないかと心配ですね。


世界水泳の録画を見直していて、鳥肌が立つ泳ぎというのは単に順位や記録ではない、すべてがかみ合った泳ぎのように見えました。
それを再現することの難しさ、それに挑戦している選手の皆さんを改めていいなと思いました。







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