「平和を知らなかったから。子どもの頃から」

8月31日に放送された「陸軍少年戦車兵学校〜少年たちがあこがれた戦争の録画を見ました。


かつての少年たちは現在90歳前後で、ちょうど私の父と同じ世代です。


戦時中、少年たちのあこがれの学校が静岡県富士宮市にあった。「陸軍少年戦車兵学校」。昭和16年から終戦の4年間で4千人を超える少年を全国から集め、戦車兵に養成していた。日本軍の戦車の装甲は薄く、能力も劣る上、学校では自決の方法を教え、遺書を書くように促していた。「皇軍の華」とされ戦地へ送り出された少年兵だが、600人以上が戦地で命を落とした。なぜ少年たちは戦争へ向かい、そして今何を思うのか。

何故少年たちは戦争へ向かったのか。


その番組の中でかつての少年戦車兵のお一人が、「平和を知らなかったから。子どもの頃から。祖父も戦場へ行った」と語られていました。


ああ、そうなのだ。父の世代というのは子どもの頃から、平和らしい平和の時間というものがなかったのだ。


反対に、私の世代というのは戦争を知らない世代です。
戦争とはどういう状況なのか、どんなに本を読んだり映画を見ても、その時の社会の雰囲気はイメージの中でしかありません。


その方が、「自分を生かすこと、国に尽くすこと。それを使命に感じていた」と話していました。


「あの戦争になぜ反対しなかったのか」と父へ詰問したことがいかに残酷なことであったのかということは、その後、東南アジアの今もなお内戦状態の地域に暮らすようになってから気づきました。


自分たちの民族の土地や文化を守る。
その使命感のために、少年や青年たちが反政府ゲリラとなるために訓練を受けに行っていました。


屈託のない素直な子どもたちの時代はほんの一時期で、「死の心構え」を持った青年たちの表情は、時に近寄り難い印象でした。


父もまたこういう雰囲気の中で、正義感を高めていったのだろうと、少し理解できたのでした。


「戦争の愚かさ」「平和の尊さ」
その言葉が示すものを伝えるには、「平和を知らない人」と「戦争を知らない人」の間にはなかなか理解し合えない深い溝があるのかもしれません。