水のあれこれ 25 <相対的と絶対的>

プールでゆるゆると泳ぎながら、時々プールの中の最大多数の最大幸福とか一回性と再現性なんてことを考えています。


いつもではなく、時々です。
いつもはだいたい「泳ぎ終わったら、今夜は何を食べようかな」とか「ビールにしようか缶チューハイにしようか」なんてあたりのことです。


最近は、「相対的と絶対的とは何か」と泳ぎながら考えていることがあります。


実はこの「相対的」という言葉は、少し苦手な言葉でした。
goo辞書には「他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま」とあります。
対になって「絶対的」という言葉も思い浮かびます。
「他の何物と比べようもない状態」とあります。


あるいは相対評価絶対評価という言葉も浮かびます。


なぜ苦手なのか自分でもよくわからないのですが、字面ではなんとなく理解できても、その言葉がどういう概念を持っているのかなかなか頭に入ってこなかったのです。


最近、プールで泳ぐ人の行動を見て、少し理解できるようになりました。


<「相対的に速い」と「絶対的に速い」>


「プールの中の境界線」に書いたように、私が泳ぎ始めて20年ぐらいの間に、プールの風景がだいぶ変わりました。


いくつかの公共プールを利用してきましたが、以前はだいたいどこでも「上級者コース」「中級者コース」「初心者コース」という周回コース(ターンして連続して泳ぐことが可能)があり、さらに25mは泳げるけれど連続50mは無理という人のための「片道コース」のような区分がありました。


泳ぐことを目的としたプールでしたから。


「上級者コース」というと、私のように泳ぎ始めたばかりの素人にとっては近づくことさえ憚られるような、元水泳部あるいは現水泳部といった人だけの「聖域」のように感じるコースでした。


そのうちに、この「上級者コース」「中級者コース」といった表記を見なくなり、周回コースは「速く泳ぐ人」「ゆっくり泳ぐ人」というものに変わり始めました。


具体的に「どれくらい速いか」ということは書かれていません。
以前の「上級者コース」といえば、25mを20秒前後で泳ぐ人というイメージがありました。


<「速く泳ぐ人」と「ゆっくり泳ぐ人」の違い>


私もそこそこ速く泳げるようになったのですが(毎度自慢ですみません)、でも「速い人コース」はよほどガラガラでない限りは躊躇します。


「速い人コース」に誰もいないからと泳ぎ始めると、じきにもっと速い人が登場してすごすご退散、ということになることがほとんどだからです。


ではもうひとつの周回コースの「ゆっくり泳ぐ人コース」へ移ろうとしても、そこにはもっと遅い人たちがすでに泳いでいるので移動するにはまたまた躊躇してしまいます。
きっとそこで泳いでいる人は、「私たちのように遅い人のためのコースなのだから少し速い人は迷惑」と感じるでしょうから。


いつも、中途半端に速いレベルの人はだいたい泣く泣く(かどうかわかりませんが)、連続して泳げる周回コースをあきらめている印象です。


「速い」「ゆっくり」はその時々のプールの状況で変化する、相対的な表現といったところでしょうか。


<「速い人コース」を選択する人もいる>


ところがここ数年でしょうか。
この「速い人コース」で泳ぐゆっくりな人をよく見かけるようになりました。


最初の頃は度胸があるか、あるいはプールに通い始めたばかりで状況がわからない人だろうかと思っていました。


最近、少しそういう人たちのパターンが見えてきました。
中高年の、そう私ぐらいの年齢より上で、公共プールで開催されている水泳教室で泳ぐ楽しさを知った人たちが多いという印象です。
そしてたいがいが女性です。


たぶん、練習をするごとに速く泳げるようになって、同じ教室の仲間の中では「速く泳げる」人なのではないかと。


もっと速く泳いでみたいと一生懸命練習する気持ちもわかるし、連続して泳げる周回コースが空いていれば「チャンス」と思うのでしょうね、きっと。


たぶん、これが「相対的」という感覚なのかもしれません。
ただ、もっと速い、絶対的に速い人が「早くあの人がどいてくれないかな、速いコースが空かないかな」と待っている状況が私にはすぐに見えてしまうのですが、どうもそのあたりまでは見えていないようです。


20年ぐらい前は、まだプールの監視員さんたちはけっこう厳しくて、もたもた泳いでいると「あっちの(遅い)コースに移ってください」と注意されている人がいました。


でもだからといって「もっと状況を見て、速い人に譲ればいいのに」といったルールとかマナーといった話にもしたくはない気持ちもあります。


60代、70代そして時に80代ぐらいと思う方々がプールにとても増えましたが、きっとこの年代は、学生時代にはプールも整備されていなかったでしょうし、あるいは女性や障害を持った人あるいは高齢者がいつでも水着になって泳げる時代ではなかったことでしょう。


いまがその時代を取り戻しているのかもしれないと思うと、十分に泳いできた世代が少しぐらい譲ってもよいかもしれないと思います。


まあ、もう少し「速い人コース」は絶対的に速い人を優先にしてもよいのではとは思うのですが。


ただ「相対的には速い」けれど「絶対的にはそう速くもない」中途半端な私自身はどこで泳いだらよいかと、この「相対的と絶対的」を考えています。



もう少し周回コースが増えればうれしいのですけれどね。





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