乳児用ミルクのあれこれ 35 <歴史は繰り返すーミルク受難>

今回も「母乳が足りなくても大丈夫」(二木武・土屋文安・山本良郎氏、ハート出版、平成9年)の内容を紹介しましす。


前回の記事で、フードファデイズムに陥らないためにも乳児用ミルクの歴史や改良の変遷を知った方がよいのではないかと書きました。
もうひとつ、人が陥りやすい雰囲気という失敗も記憶の片隅に残して行くことも大事なのかもしれません。


この本の中に、「ミルク受難ーお母さんと赤ちゃんの苦しみ」(p.135〜)という文章があります。
1970年代頃の話のようです。

 日本では大変残念なことに、栄養素であるビタミンやミネラルであってもいわゆる"食品添加物"という範疇で制限されています。そのため日本の粉ミルクは、見かけ上"食品添加物"がたくさん使われた"加工食品"の最たるものとして悪者視された苦い経験を持っています。すでに20年以上も前のことですが、ちょうど第一次石油ショックが起こった時です。
 この時の母乳推奨の高まりはそれまでになく強く、しかも大変急激に進行したために、逆に大きな悲劇も生みました。母乳が出ないことを苦にして母親が自殺したといった新聞報道が散見されたり、色の白い赤ちゃんが小児科外来で見られるとも言われました。

 後者の例では、母乳が出ないが、"加工食品であるミルク"はいやだから、"天然食品"あるいは"完全食品"である牛乳を与えているということでした。牛乳は蛋白質・ミネラルが多い一方で鉄含有量の少ない食品で、鉄欠乏生貧血を起こしていたのです。思い出してください。人工栄養がまず牛乳を薄めることから出発したということを。そして蛋白質の利用性を高め、さらにはアレルゲン性を少しでも下げるべく、加熱によるソフトカード化がなされてきたということを。

 どうしてそんなでたらめな判断を下したのかを調査してみると、「育児書を読んで」はまだしも、「医師、看護婦、保健婦あるいは栄養士さんに勧められて」というのまであって、本当に愕然としたのを覚えています。
 お母さんの本当の目的は、"赤ちゃんを心身ともに健康に育てる"ことにあったろうに、あたかも"母乳を出す"ことが目的であるように錯覚させたマスコミ、医療関係者そして育児分野のプロフェッショナルの方々の責任は重いと言えます。それにしても、もし日本の食品衛生規則の中で、諸外国と同様に、"栄養素添加物"についての配慮があれば、事態はもう少し変わっていたのではないかと思います。

WHO/UNICEFによる「母乳育児成功のための10か条」は1989年ですから、それ以前にもこのような「母乳推進」の時代があったことを、この本を読んで初めて知りました。
「母乳が出なくて自殺までしたお母さん」が1970年代にいたことも。


おそらくこの時代の背景には、森永ヒ素ミルク中毒事件が社会に与えた大きな不安が尾を引いていたのではないかと思います。
1960年代の小学生の頃にも、ニュースでこの名前はよく耳にしていましたから。


リスクという概念や言葉もまだ日本にはなく、ましてリスクマネージメントいう言葉も社会に知られていなかった時代ですし、被害者救済の道も今と比べほどにならないほど困難なことが山積みだったことでしょう。
社会の中に乳児用ミルクへの不安が残るのも無理はないかもしれません。


ただ、私自身は1970年代というのは母子別室・規則授乳によって、母乳よりもミルクが選択されている時代だと認識していましたから、この時代も母乳推進の時代であったことは少し驚きました。


たとえば「時代の反動で揺れること」でこんな文章を紹介しました。

昭和30(1955)年代に母乳育児は壊滅的に減少した。それはその時代の風潮が工業製品こそ優れているという意識を深く植えつけ、人工乳の発達は母親を子育ての苦労から解放するという幻想を与えたことだと言われる。

1970年代終わりから1980年代にかけて、私自身は「母乳は壊滅的に減少した」とまでは思いませんでしたが、混合栄養が多い「ミルク全盛の時代」ぐらいに認識していました。



そう言われれば、ちょうど助産師の中にも乳房マッサージに開業の活路を見いだし母乳相談が広がっていった時代です。



1980年代後半に助産師になった頃、桶谷式の本や自然育児といった母乳育児のための本がありました。
「母乳で育った子は硬太り」「アレルギーにならない」などといったことが書かれていて、私もその頃はそのまま信じていました。
すでに人工乳でも硬太りアレルギーも抑えられるように改良されたミルクの時代だったのですけれど。


そして1990年代に入ると、次第に日本でも「母乳育児成功の10か条」が広がり始めました。
「ミルク全盛の時代」を反省しできるだけ母乳で育てられるように、と思って賛同した助産師も多いのではないかと思います。


おそらく現在、「母乳育児推進」の側に立っているスタッフも1970年代に冒頭のような状況があったことは知らないのではないでしょうか。


漠然とした歴史のイメージのまま、何か強い主張が世の中の雰囲気をつくり出すことで歴史は繰り返し、またミルク受難の時代になったのかもしれません。
それは時に、お母さんや赤ちゃんを追いつめることにもなる。
この失敗をどこかに教訓として残す必要があるのではないでしょうか。


また次の時代を、「母乳vsミルク」への感情の反動から反動の時代にしないためにも。





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