世界はひろいな 32 <おいしいという言葉がない>

今週で「孤独のグルメ」Season5も終わりで、寂しいですねえ。
夜勤明けで食べたい物も思い浮かばないほど疲れている時に、この録画を観ると「おいしく食べたい!」と復活するのでした。ちょっと食べ過ぎてしまうのですが・・・。


前回の記事で、日本ではまだあまりなじみのないグアバをこんなふうに書きました。

中の小さな種がコリコリとした歯触りになっていて、甘酸っぱいりんごに似た味と感触でした。


たった1行ですが、うまく表現できたかなあと書きながら心配になっていました。
「うまく伝わったか」という意味もありますが、もうひとつは「食べたいという気持ちを損なうことにならないか」という点です。


「感触」に似た言葉で、ちょうどひっくり返した「食感」という言葉があります。


「○○のような食感で」「口の中にぱーっと広がります」という表現や、口の前で指をもやもやと動かすしぐさはいつごろから広がったのでしょうか?
一生懸命に伝えてくれようとしている方には申し訳ないのですが、こうした表現を見聞きするととたんに私はその食べものを食べたくなくなるのです。


これは「それが良いか悪いか」ということではなく、私の方の「好きか嫌いか」の気持ちの問題なのですが。


おいしそうに食べることもそれを言葉で表現することも難しいですね。



<「おいしい」という言葉自体がないところもある>


日本語の「美味しい」という言葉は、小さい頃から当たり前のように耳にしてきたし、その食事を作ってくれた人への感謝の言葉として言われた側もうれしく感じるものだと思っていました。
そして、世界中どこでも同じだろうと。


東南アジアで暮らした時にも、まず現地の「おいしい」という言葉をおそわるようにしました。
公用語以外にも、何十という地方の言葉がありますから、その地域での「おいしい」をいくつか覚えました。


「おいしい」と喜んで食べていると、ちょっと照れながらも相手も喜んでくれることがほとんどでしたから、やはりどこへ行っても同じだなあと思いました。


ところがその国のなかでもある少数民族の村に行った時に、「おいしいって何て言うの?」と尋ねましたが、どうやらそれらしい言葉がないということがわかりました。
現地の友人は少数民族の言葉を含めた5〜6の言葉を理解できたので、彼女を通して尋ねてもらったのですが、相手も首をかしげているだけでした。


淡々と食事をするだけで、「間が持つ」だろうかとちょっと不安になりました。
あるいは、それまでは「おいしい」と現地の言葉を言うだけで心を開いてもらえることが多かったのですが、大丈夫だろうかと。


でも心配は杞憂に終わりました。
ヴェジタリアンをやめた訳の「こだわらずに食べる」に書いたように、鳥をつぶしてもてなしてくれた料理は本当においしくて黙々と食べたのでした。


「おいしい」という表現方法もなく、また「おいしい?」「味は合いますか?」とも聞かれることもなく、でもちゃんとなにか通じ合うものがあるものなのですね。


世界中、もっといろいろと「食べることを表現する」方法があるかもしれませんね。
「おいしい」という言葉を持つ社会からは想像もつかないようなことが。





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