記憶についてのあれこれ 87 <銃が身近にある社会>

「相棒」とか刑事物のドラマを見ていると、「じゅうとうほう違反で逮捕」という場面があります。
正確には銃砲刀剣類所持等取締法というのですね。
1958年(昭和33年)に制定されたので、案外新しい法律なのだとちょっとびっくりしました。


「銃刀法違反で逮捕」と聞くと、父が日本刀を所持していた記憶が蘇ってきます。
もちろん、違法ではなく合法的に所持していたのだと思いますが。


まだ幼稚園児か小学生だった頃、たまに父がキラリと光る日本刀を手入れしていたことがあります。
「これは『真剣』だぞ」とちょっと自慢っぽく話すので、「真剣(一生懸命)」という意味よりも先に、「真剣(本当の刀)」の方を覚えたのかもしれません。


あれはまだこの銃刀法ができて10年ぐらいのことだったのですね。


いつの間にか、日本刀を手入れしている姿を見なくなりました。
なぜ父は日本刀を所持していたいと思ったのだろう、あの日本刀はその後どうなったのだろう。
知りたいと思った時には、父の記憶はなくなってしまいましたが。


<銃が日常にある生活>


アメリカなどの銃による事件のニュースを聞くと、一般市民が銃を持たなくてよい社会の有り難さを痛感します。


それとともに、やはり銃を社会からなくすことは一筋縄ではいかないだろうなと、私が住んでいた東南アジアの国を思い出します。


私がその国に到着して「治安が悪いという意味はこういうことなのか」と理解したのが、街中、いたるところにガードマンが立っていて、しかも拳銃やライフル銃を所持していることでした。


今でこそ、日本でも警備会社の警備が日常の風景になりましたが、1980年代半ばはまだ警察どころか民間の警備会社とはほとんど無縁の生活でした。


ところがその国では、ショッピングセンターや銀行あるいはレストランにも銃を持った警備員が立っていて、所持品をチェックされることもありました。


郊外の村に入る時には必ず政府軍によるチェックポイントがあって、ライフル銃を下げた兵士が車内を確認していました。


時間とともにそういう日常生活に私も慣れていきましたが、それはまだまだ治安が良い方の地域だったからかもしれません。


ある地域で1ヶ月ぐらい暮らしたとき、朝になると全身に原因不明の蕁麻疹が出るようになりました。
こちらの記事の<「外人が村にやってくる」ということ>に書いた地域に住んでいた時です。


市内の家を友人と借りて住んでいたのですが、夜になると家の周囲を誰かが歩いている気配がありました。監視されているらしいことがわかり、それからは交替で睡眠をとるようにしました。


その地域を出た途端、蕁麻疹がでなくなりました。
よほど、緊張して生活をしていたのだと思います。


いつでも銃口を向けられる可能性がある社会で生活することは、誰かはそれによって守られて安心する反面、誰かには半端ないストレスを持たせる社会でもあるのかもしれません。





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