10年ひとむかし  49 鉄道を残して欲しいな

まったくの個人的な想いなのですが、幼少の頃からの記憶をたどっていくと自動車で出かけた時のことよりも、列車に乗った時の記憶の方が残っています。

都内にいた1960年代前半の丸ノ内線が、列車の最初の記憶かもしれません。

その後じきに父が運転免許を取り、鉄道とはあまり縁のない生活になりました。

高校を卒業するまで列車に乗る機会の方が少なかったのですが、そのためにむしろ記憶が残っているのでしょうか。

 

たぶん列車の匂いとか音とか、そんなレベルの記憶がどこかにあって、郷愁を感じるのかもしれません。

 

1987年の国鉄からJRへと変化する頃から、赤字路線廃線のニュースが時々あった記憶があります。

その反面、都内近郊では次々と地下鉄や私鉄が延伸され、相互乗り入れが始まりました。

通勤ラッシュや混雑緩和、あるいは利便性のために新しい路線ができてもまたすぐに混雑して、どこにこれだけ移動する人がいるのだろうといつも不思議に思います。

 

1970年代から80年代初めの頃は、たとえば東横線の一部区間は山と畑しかない場所だったのが、いつの間にか住宅がぎっしりと建ち郊外へ郊外へと通勤圏が広がっています。

 

*鉄道があるからこそ*

 

対照的に、地方の鉄道が利用者が減ってその歴史を閉じているのですが、私も高校生まで過ごした地域のことを思うとその変化も理解できます。

駅まで車で15分ぐらいかかりますし、バスも減っていく中で、鉄道を利用するよりも車で通勤した方が早いですし、駅前はどんどんと寂れて、郊外へとショッピングセンターが移動しているので車がなければ生活できない地域でした。

 

ただその地域も、90年代ごろには列車の本数もかなり減っていたのですが、その後また本数が増えています。

観光地や工場があるのも一因かもしれないですが、車の方が便利そうな場所です。

ところが、通勤通学の時間帯以外でも、3両編成の列車は満員になっていることが多いのです。

誰が鉄道を利用しているのでしょう。

何がこの地域の変化をもたらしているのか、たまに乗るだけではわかりません。

 

単線で、途中は山や谷をいくローカル線ですが、たまに乗るととても懐かしく、新幹線に心が踊るのと同じくらい大好きです。

 

最近、銚子電鉄天竜浜名湖線など、経営が厳しそうな鉄道にも乗るようになりました。

あるいは、あの険しい山と海岸線を走る南紀の鉄道のように、難工事を乗り越えて鉄道が敷かれ、それを安全に維持していくために多くの人と時間が費やされて来たであろう歴史が見えると、「赤字」だから廃線にしてしまうことは長い目で見たら大きなものを失ってしまうのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。

 

私が高校生までいた地域も、少しずつ人口が増えています。

鉄道が残っているからこそ、人が移動して来たのかもしれません。

 

車を持たない私が、ふらりと気軽に日本各地に散歩に出かけられるのも、鉄道があるからこそというまったくもって個人的な願いなのですが、日本津々浦々、今ある鉄道をぜひ残して欲しいなあと思います。

 

初めて日本で蒸気機関車の模型が走った1854年から約一世紀半、これから日本の鉄道はどう変化していくのでしょうか。

 

 

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