アドバンス助産師とは 7 <新人を育てるための社会の寛容性>

「分娩経験例数100例」と聞くと、「一人前を認証する意味はあるか」に書いたように、おおよそ「一人前の助産師」のイメージです。


だいたい一通りの業務や判断がようやくできるようになったあたりという感じでしょうか。


ストレートに22歳で助産師になった場合には、20代半ばの方々がこのあたりになります。


長い長いその後の助産師の人生を考えた時に、ようやく基礎的な力を身につけた駆け出しにしかすぎない経験量だったなあと、私自身を振り返っています。


それなのに、この時点で「アドバンス」という言葉で認定して大丈夫なのだろうかと思えるぐらいの段階です。



また、助産師以外の人たちには、一人前以前の助産師はどのように映っているのでしょうか。



<私にとっての「100例」の意味>


私が助産師学生の時に初めて分娩介助をさせていただいた方のことは、その当時のことがいろいろと記憶にあります。


ところが学生の2例目からの分娩介助の記憶はぷっつりと途切れています。
本当に、人の記憶力というのは頼りないものですね。


そして助産師として就職した病院での初めての分娩介助も、まったく記憶にないのです。
初産婦さんだったか経産婦さんだったかさえ、覚えていません。
当時は、国家試験の合格発表が5月初めだったので、初めての分娩介助が初夏だったような気がする程度の記憶です。


その後、経験が100例あたりに達した頃から、ふと「分娩記録を残していこう」と思いついて、今に至っています。


ノートに分娩経過を記録し始めた頃の、産婦さんや分娩時のことなどはところどころ思い出せますから、家に帰ってもう一度分娩経過を思い出す作業というのは勉強になるなあと思っています。


ただ、もしかしたら1例目から記録を残しても、やはり印象に残るのは100例あたりだったのかもしれません。


「分娩記録を残そう」と思いついたその100例目あたりが、ようやく分娩介助をしている自分を客観的に見る余裕が出て来た時期だったのかもしれないと。


助産師になったばかりの20代終わりの頃、看護師としては経験があっても、毎日、緊張して分娩介助をしてそれだけで精一杯だったのかもしれません。
記憶が途切れてしまっているほどに。


分娩進行中のお母さん達の表情や言葉などが見えて来たり、分娩進行のパターン(法則性)のようなものが少し見えて来たので、データーとして記録してみたいという思いになったのではないかと思い返しています。


<新人に対する社会の感覚の変化はどうか>


私自身としては分娩介助以外の医療行為は慣れていたこと、こちらの記事に書いたように20代の出産が大半だった時代なので、当時の産婦さんよりも私の方が年上だったので、助産師としては新人だとはこちらが言わないかぎりわからないままだったのではないかと思います。


当時は22歳でストレートに助産師になっても、ほぼ初産婦さんたちと同年代ですし、経産婦さんは少し年上ぐらいの年齢差でした。


ところが現在は、入院中のお母さんたちの年齢はたまに20代半ばの方がいらっしゃる程度で、ほぼ30代です。


10歳以上の年の差で、分娩介助や赤ちゃんの世話について説明したり介助する大変さはどうなのだろうと気になっています。


さらに、最近でははっきりと「こうして欲しい。こうしないで欲しい」と医療機関へ意志を伝える時代になりましたから、採血や点滴などの処置ででうまくできなかった場合や対応に行き違いが出た場合に、「あのスタッフがつかないようにしてください」とおっしゃる方もでてきました。


私の新人の頃にはなかった時代の変化を感じています。



助産学生に分娩実習を受け入れてくださるお母さんたちが減ったように。


「私らしいお産」とか納得できるお産のためには、やはりベテランの人がよいというのも仕方がないことでしょう。


私が10年前に産科診療所に移って、産婦さん達からいただく入院中の感想に「お母さんのような年代のスタッフが多くて安心しました」という言葉がけっこうあります。


時には総合病院で頑張っている2年目ぐらいの人の方が知識・技術ともにあるのではないかと思えるほど、見た目だけは安心感のある年齢のいったスタッフもいるのですが、総合的にはやはり人生経験があることも大事な安心感のようです。



<医療従事者が育つために必要なこと>



「誰もが新人から成長する」に書いたように、看護師になったばかりの頃は末期のがん患者さんの部屋へ検温に行くだけで緊張していました。


さらに採血や点滴、そして助産師の場合には分娩介助と、人の体に傷をつけたり生命の危険と背中合わせの状況に関わっていく医療の仕事は、ある一定のレベルに到達する為には未熟な技術を上達させるためにいわば練習台になってくださる社会がなければ育つことができません。



新人のようなスタッフが手を震わせて処置をしたり、頭の中がいっぱいいっぱいになっている様子がわかっても、受け止めてくれている社会があるからこそ、次の世代を担う医療従事者が成長できているのだと思います。


「自律して働くことができると第三者的にも認定されたアドバンス助産師」という幻想と境界線をつくり出してしまうと、この新人から一人前になる人たちへの社会の寛容性がせばまってしまうことになるのではないかと危惧しています。





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