水のあれこれ 33 <水子>

こちらの記事で「背後水」と思いつきで浮かんだ言葉を検索していたら、「水子の霊」の文章がひっかかってきたことを書きました。
読んでみましたが「水」に反応しただけで検索にあがってきたようです。


水子」は「みずこ」とだけ読むのだと思っていましたが、Wikipedia説明には「すいじ」という呼び名であったことが書かれています。


水子の霊」という言葉を知ったのは小学生の頃、1970年代でした。
若い頃から坐禅の修行をしていた父霊感があると信じている母と、家には宗教的な本がたくさんありました。
看護学生の私に「病気と因縁」という本を送ってくる家庭でした。


ある宗教団体からの月刊誌だったと思いますが、この世に生まれてこなかった赤ちゃんを水子と呼び、その霊を慰める必要がある、そんなことが書いてあったのだろうと思います。


子どもには背中がゾクゾクするような怖い話でした。


それまでは目に入っていなかった、お寺の赤い着物を着た小さいお地蔵さんと風車、そして「水子」の文字を意識するようになりました。
怖くて、その場所を避けるかのように。


さて、長文ですがWikipediaの「水子供養商法」を全文引用します。

"水子"は本来「すいじ」と読み、元々は死亡した胎児だけでなく乳児期、幼児期に死亡した子供を含む概念に過ぎなかったが、1970年代頃から水子供養の習慣が広まっていき、占い師などが水子の祟りを語って水子供養を売り物にしていった。その背景には、檀家制度が破綻し経営が苦しくなった多くの寺院が経済的利益のために大手墓石業者とタイアップし水子供養を大々的に宣伝し始めたことが大きく影響している。

松浦由美子は、水子供養は新しい現象であり、それが宗教なのか、仏教のものであるのか否か、日本の伝統宗教と関係があるのかないのか、中絶した女性に対する癒しなのか恫喝なのか、あるいは中絶問題の解決になり得るのか否か、といった多彩な視点から国内外の研究者たちの注目を集めてきたと述べている。

水子供養が仏教であるかどうかについては意見が分かれている。仏教学者ウイリアム・R・ラフルーアは、水子供養を完全に仏教の宇宙観の中に位置づけており、近年注目を集めるようになったが、そもそも水子に対する考え方は日本に伝統的に存在してきたものとしている。ラフルーアは中絶した女性の罪悪感へのセラピー効果があり、中絶が社会的に大きな問題になるのを防いでいると考え、高く評価している。その一方、宗教学者ツヴイ・ヴェルブロスキーは、水子供養のキーワードは「恐れ、たたり、障り、鎮め」であり、水子供養というよりは「鎮めの儀式」で、新宗教的なものであり、新しい現象であると考えている。ヴェルブロスキーは、産婦人科医と水子供養に関わる寺院の金儲け主義を非難している。同時に、水子供養の癒しの機能を賞賛することは、その最も重要な要素であるたたりと鎮めの側面を無視し、あからさまな商業主義を不問に付すことであると考え、学者も厳しく糾弾している。また、日本研究者ヘレン・ハーデイカーは、水子供養を仏教だけではない、神道修験道、そして新宗教の初段代に見られる超宗派的な実践と捉えており、かつ1970年代以降の商業的なオカルトブームによって成立した現代的な現象であると主張している。

宗教社会学者の大村英昭は、水子供養は「祟りと鎮め」という民俗的心性の表出の一例とし、新しい現象でありながらも、「日本古来の霊魂観」の表出とみなしている。小松加代子は、現代の水子の観念に、霊的進化を特徴とするニューエイジ的輪廻転生観の影響が見られることを指摘している。

産婦人科医と水子供養に関わる寺院の金儲け主義」の「産婦人科医」については、どのような事実を元に批判があったのかはわかりませんが、1980年代以降、私自身が働いた産婦人科では産科医側から水子供養を勧めていたような話はありませんでした。


もしかすると、妊娠12週以降の死産の場合には埋葬許可書が必要になるのですが、心身ともに大変なご本人や御家族に変わって手続きを代行・埋葬してくれる業者を紹介することもあるので、そのあたりへの批判でしょうか。


さて、水子供養というのは1970年代頃から始まったものであることを知ったのは、1990年代に読んだ中絶問題に関する書籍の中でした。


「あ、なんだ。私は何に怯えていたのだろうと」、ちょっと目が覚めた感じでした。



ところで、「水子」というのは羊水の中で生きていた胎児だからなのかと思っていましたが、Wikipediaによると「水子という呼び名は、生まれて間もなく海に流された日本神話の神・水蛭子より転じたものとされる」とあります。



現代の私たちは当たり前のように「胎内に羊水がある」ことを知っていますが、昔の人たちは胎児とともにどっと出てくる水をみて、何を思ったのだろう。あの水をどのように観察していたのだろうと気になっています。





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