水のあれこれ 35 <泳ぐことを学ぶ意味はあるか>

昨日の記事で紹介した野口智博氏のブログに、「震災から5年」という記事があります。


東日本大震災当日、津波が街を飲み込んでいく様子に、「あの波の中で、先生泳げますか?」と尋ねられた野口氏が、「無理だ」「自分たちがやっていた水泳教育なんて、こんな状況じゃ何の役にも立たないんじゃないか」と無力感を感じたことが書かれています。


その後、津波から生還した方々から話を聞くことを考えたそうです。

正直に言えば、実験倫理からすると完全な「アウト」です。
(中略)
でも、私はどうしても、溺水から水泳を始めた一人の人間として、どうやってあの状況から助かることができたか?
それをどうしても知りたかったのと、水泳教育の普及を推進している日本水泳・水中運動学会の研究メンバー(同士)に、生の声を伝えて今後の我々の立ち位置やすべきことを明確にしたかったのです。
果たして、私たちが「大事だ」と声高らかに言っていた水泳教育は、本当に大事なものだったのか?
「全く役立たない」と言われてもいいから、とにかく聞いてみたいという欲求だけで、現地へ行きました。

添付されている写真が小さくて読めないのですが、こう続けられています。

今、「浮いて待て」という指導が、着衣泳の現場では勧められています。
その意義は、私もよく理解しています。
一方で、津波から助かった方の半数ぐらいは、浮いて待った後に「泳いで移動できた」方である現実も、私たちは理解せねばならないと思います。
あの日は夜も気温が低く、乾燥していました。
水中も15度は確実に切っていたと思います。
一刻も速く水面を移動して、暖をとれた方と、そうでない方の違いは明白です。
ですから、我々はその後の「泳ぐ」ということを、しっかりと授業で指導できるようにせねばならないと考えています。

野口智博氏は溺水の経験から水泳に関わった話は、どこかで目にしたような気がします。
氏の「泳ぐ」意味や泳ぎ方を突き詰めていく動機はそこにあったのかと、この記事を読んで改めて理解しました。



5年前のあの日、私もNHKの津波の映像に生きた心地がしないまま釘付けになっていました。
溺水の経験はないのですが、高波のあの感覚が蘇って来てきたのでした。


あの濁流では、プールで多少泳げても助からないのかなと絶望的に感じたのでした。


では、泳ぎを学んだ意味はないのでしょうか?
そんなことをもう少し続きます。




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