今日のタイトルもなんだか呪文のようですね。
Wikipediaのもやしに書かれていた説明に、「そうだったのか!」と不意をつかれたのでした。
もやし(もやし、萌やし)とは、主に穀類、豆類の種子を人為的に発芽させた新芽。
そうか、「萌やし」なのかと。
カッコ内には「栞」に草冠をつけた漢字が書かれているのですが、残念ながら転換できませんでした。
その「萌やし」についての説明は、以下のように書かれています。
呼称は「萌やす」(発芽させる意)の連用形であり、本来は穀類の新芽作物一般を指す語である。しかし、近世に緑豆モヤシが大いに浮遊したため、単にモヤシといった場合、緑豆モヤシを指すことが多い。
半世紀生きて初めて知ったもやしの由来、というのはちょっと大げさですけれど。
カイワレ大根やブロッコリーのスプラウトはわかるのですが、ワラビやタケノコも「萌やし」の一種なのですね。
<新芽作物>
たしかにワラビやゼンマイは早春の短期間に一気に成長してしまうので、なるほど新芽作物ですね。
少し摘むのが遅いと、見た目は似ていても筋張って食べられない固さでした。
もやしが急激に日本で消費されるようになったのが1960年代と知ってちょっと驚いたのですが、小学生頃まではまだ、モヤシは八百屋さんの店頭にプラスティクのざるに載せられて売られていました。
今のような袋にパックされたものが一般的になったのは、いつ頃だったでしょうか。
その後カイワレ大根が出て来た時には、そのちょっと辛みが効いて薬味にも野菜にも気軽に使えてなおかつ愛らしい姿に、これを考えついた人はすごいなと思ったのでした。
あれはいつ頃から食べ始めたのだろうと思い返してみたのですが、はっきりした記憶がありません。
検索したらもやし生産者協会のHPがあって、「もやしの歴史」が書かれていました。
1960年代頃にはすでに、大量生産の方向へ変化し始めていたようですね。
あのインスタントラーメンの広がりともつながりがあるようです。
Wikipediaのカイワレ大根を読むと、考えだした人の名前まで書かれていました。すごい。
1986年9月18日、大阪にて日本かいわれ協会(現スプラウト協会)発足。
1980年代半ばあたりから、カイワレ大根が日常的に食べられるようになったのですね。
<栽培と安全性>
カイワレ大根というと、1996年のO-157の感染拡大での風評被害を思い出します。
当時は、医療従事者でもO-157を初めて知った人が大半だったのではないかと思いますが、さらに「生野菜で食中毒?」と驚かされたのでした。
Wikipediaの「モヤシ」の「安全性」にもこんな説明があります。
豆もやしは日光による殺菌作用のない暗所で栽培されるという性質上、大腸菌をはじめとする細菌が増殖しやすい食品であり、消費者が購入する時点で平均して1gあたり100万〜1000万の細菌があるといわれている。サルモネラ、カンピロバクターなどの食中毒についても栽培前に種子の殺菌が行われるのが常であるものの、何らかの理由でひとたび種子に食中毒菌が付着していた場合、増殖しやすい食品であるといえる。2010年にはイギリスで発生したサルモネラ食中毒事件を受けて、英国食品基準庁が豆もやしを完全に過熱して調理するよう勧告を出している。
難民キャンプの路上で販売していたフォーは、生のもやしとミントが絶妙なおいしさだったけれど、もしO-157の後だったら食べるのを躊躇したかもしれませんね。
まあ、スープは熱々だったので、それで殺菌されていたのかもしれませんが。
<安いけれど贅沢品のような>
その後アルファルファを初め、野菜売り場の新芽野菜の種類も増えました。
ここ10年ぐらいでしょうか。少し大きな新芽野菜の豆苗(トウミョウ)を見かけるようになったのは。
切り取ったあとの根の部分を水につけておくと、土台に残っていた豆が発芽するので2回目ぐらいまで食べられるのもおもしろいですね。
こうした新芽野菜は天候に左右されないので安定供給、安定価格で助かっています。
生産のための安全性や出荷してから食べるまでの時間の短さという流通を考えると、安い価格の背景にはさまざまな対応が必要な贅沢品だなあとあらためて思います。
それとともに、小さい頃からいつももやしを食べるたびに、「こんなに種をたくさん食べちゃっていいのかな」という一種の罪悪感のような気持ちがふと沸くのです。
植えればまたたくさんの種になるのですものね。
そういう意味でも贅沢品かもしれません。
もちろん、おいしさでそんな気持ちはすぐに忘れてしまうのですが。