母の面会に行く途中、水田が多い場所を通ります。
都内より気温が低いので、今が一斉に花が咲き始める桃源郷のような風景と、水が張られ始めた田んぼの風景がなんとも美しい季節です。
あちこちの用水路も、この季節はますます元気です。用水路が元気っていうのも変な表現ですけれど。
いつもはその風景に癒されるのですが、今年はちょっと冷や汗をかきそうになりました。
「水田はどうして水を張ったままにできるのだろう」
ふと思いついた疑問でしたが、今まで日本や東南アジアの水田をたくさん見ているはずなのに見ていないという冷や汗でした。
3年ほど前に初めて、3月から4月の初めに、一度田んぼが掘り起こされて少し水を溜めることを代掻きということを知ったのですが、その時にもまだそれ以上深く考えていませんでした。
稲刈りが終われば雨が降ってもじきに乾燥する田んぼなのに、なぜ、春になると水を溜められるようになるのかということを。
すごいですね。一発で、知りたいこと以上のことが書いてあるサイトにたどり着けました。
「くぼたのたんぼ」というサイトの田んぼの仕組みにわかりやすく説明がありました。
地球に届く有効な太陽エネルギーの約1%が、緑色植物によって有機化合物という生命のおにぎりになる。農業はこの太陽エネルギーを稲に貯えて人間の食糧というエネルギーに変換する営みである。田んぼは、日本の不利な土壌、気候問題をクリアしてお米を日本の主食とした、優れた人工栽培装置です。
その田んぼは、「作土層(さくどそう)」「鋤床層(すきどこそう)」「畦(あぜ)」「水路」「せき」で作られているそうです。今まで「水路」と「せき」には関心があったのですが、肝心の水田本体のことを全く知りませんでした。
水を溜めるために必要なのが「鋤床層」のようです。
・人や機械を支える働きをします。水田をつくるときは、まずこの層をつき固めて硬くします。
・水を漏らさず、しかし全然漏らないのも困るという微妙な硬さにする名人芸が要求されます。
これを知ったら、同じ風景がまた違って見えてきそうですね。
そして「水田に水がある」ことが当たり前すぎて疑問にも思っていなかったことの意味が書かれています。
「田んぼに水を溜める、という大発明」
日本の土壌は本来、お米を育てるのに向いていたわけではありません。表面に水を溜めるという大発明によって、全てを解決したのです。もともと稲は、熱帯の作物です。それが日本列島のような温帯で安定的に栽培できるようになったのも、この大発明のおかげです。
水を溜めることにより
・肥料をあまり与えなくても空気や水、そして土壌の中から天然の肥料である窒素やリン酸などを取り出して吸収・利用できる。
・土の中の水分調節が不要である。
・連作障害がなく、同じ作物を毎年栽培し続けられる。
・雑草が少なくなる。田んぼの表面に長時間水が溜まっているため、酸素欠乏のような状態になり、この条件で生育できる雑草が少ない。
・稲を寒さから保護する。水は一度取り入れた熱はなかなか発散させない。(比熱が大きいのです)田んぼの水は稲のセーターとなります。
すごい。
田んぼの水についても、ここまで長い長い人間の経験が言語化されていること圧倒されます。
素人にわかりやすい言葉で書かれていますが、その行間の専門的な知識や失敗学はどれほどあるのだろう、ちょっと気が遠くなりそうです。
水を張られた田んぼは美しいだけでなく、複雑な生物の別世界が広がっていた。
長い長い人間と水の歴史とともに。
「水のあれこれ」まとめはこちら。
「米のあれこれ」もあわせてどうぞ。